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味の素

先日、九十九里に移住したK君と電話で話をしていて鍋談議になった。私はこのところ、週に2度ほど鶏のハツ(心臓)鍋をつくって食べている。チゲ鍋だ。ニンニクとショウガをみじん切りにして鍋に落とし、ごま油で炒める。キムチを追加してさらに炒める。お湯をたっぷり入れて、酒、みりん、味噌、しょうゆ、コチジャン、貝柱調味料顆粒をすこし加えて、あとはキャベツ、豆腐、ハツ(切れ目を半分入れて、血合いを包丁でとる)、モヤシを入れてできあがり。これがウマイんだ。ハツがぷりぷりしてさ、と私はいった。

K君はいった。味の素を入れるべきですね。韓国料理は、いまやすべて仕上げは味の素です。エッ、味の素、いまだに売ってるの。ここ何10年も見たことないけど。売ってますよ、味の素は、うま味をぐんとアップしてくれます。たとえば、フライパンに目玉焼きを2個つくります。そして片一方だけに味の素を振りかけ、それぞれを食べ比べてください。ちがいは歴然ですよ。

そこで思い出した。もう30年ほど前に聞いた話である。ある男が脱サラして、大好きなチャーハンの専門店を開こうと思い立った。東京のチャーハンのうまいといわれている店をあまた食べ歩いて、これだという店にたどり着いた。彼は店主にお願いした。「ぜひこの店のチャーハンの極意を知りたいので、半年間、無給で働かせてください」。店主は応えた「働かなくていいよ。キャッシュで30万円もってきたら、極意をおしえるよ」。男は翌日、30万円を店主に渡した。その極意はかんたんなものだった。「仕上げに味の素をたっぷり振りかけることだ」

こんな話も思い出した。あるグルメ雑誌がチャーハン特集をすることになった。その雑誌の女性編集者が東京中のチャーハン有名店を訪ね、ついにこれこそ究極のチャーハンという店を見つけた。それは他を圧倒するうまさであった。彼女はそれから毎日その店に通いつめ、店主を説得し、ついに厨房に入ることを許された。そこで彼女が見たものは・・・仕上げの中華鍋に味の素を惜しげもなく入れるというものだった。

私の子ども時代、どの家庭のちゃぶ台にも赤いキャップの味の素が置かれていた。芋の煮っころがしであろうが、カレーライスであろうが、皆その上に味の素をふりかけて食べていた。1970年代であろうか、それがいっせいに日本中の食卓から消えた。たぶん風評被害だろうが、味の素はケミカルな材料からつくられていて危ないものだという説がひろがった。80年代にはいると、味の素も「麦からビール、サトウキビから味の素」という自然素材であるという大キャンペーンを張ったが事すでに遅し、消えた赤いキャップが復活することはなかった。いまは、東南アジア全域で味の素は席巻しているという。

私はK君の料理の腕と舌に全幅の信頼をおいているので、先日スーパーで探した。赤いキャプの味の素は棚の上の方にひっそりと鎮座ましましていた。昨日、ハツ鍋をつくり、味の素を小さじ1杯ほど仕上げに入れた。なんだか、うま味が増したような気がした。


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追加本


トム・ロブ・スミス 「チャイルド44」
*とにかく、ハラハラドキドキの大傑作ミステリー。

ルイス・セプルベダ 「ラヴ・ストーリーを読む老人」
*南米文学の傑作。何度読んでも素晴らしい。

佐藤愛子 「うらら町字ウララ」
*私はこの本を30数年前に読んでスゴイッと唸り、今回再読してスゴイッとまた唸った。いまは書店にもアマゾンにも無いようですが、図書館にはあるとおもいます。

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面白本


ベルギー在住の真美さんから、面白い本の情報を当ブログにもっとアップしてほしいというコメントが入っていた。そこで思いつくままに、ジャンルも傾向も関係なく、ただ面白いということだけを基準に選んでみた。

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桜木柴乃 「ホテルローヤル」「霧ウラル」「裸の華」

宮部みゆき「名もなき毒」杉森三郎シリーズ第2弾

佐々木譲「警官の血」「エトロフ発緊急電」

沢木冬吾「約束の森」

ジェフリー・アーチャー「誇りと復讐」「ゴッホは欺く」

ジエフリー・ディーヴァー「ボーン・コレクター」「ウオッチメーカー」

ローレンス・ブロック「八百万の死にざま」「おかしなことを聞くね」

向田邦子「父の詫び状」

開高健「ロマネ・コンティ・一九三五年」

トルーマン・カポーティ「冷血」


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葉巻

2か月ほど前であろうか。渡辺さんは煙草好きだから、といって妙齢の女性から葉巻を3本いただいた。1本、12万円だそうである。

どうせなら、葉巻好きのO氏と愉しもうとおもっていたところ先週お声がかかり、新宿で久しぶりに飲むことになった。アメリカに帰国する直前のGも一緒である。

1軒目のバルでビールやワインをたのしみ、2軒目はシガーバーだという。やたら薄暗い酒場に案内されると、皆さん、グラスを傾けながら葉巻を吸っている。我われは店の奥まったスペースに案内された。バーテンダーから酒のオーダーと一緒に「葉巻はいかがいたしましょう」と問わられる。私は、「いや、葉巻は持参しています」と応える。

さて、くだんの葉巻の吸い口をカッターで切り、その煙を深々と吸った。意外であった。ほのかなチョコレートの香りはしたが、3000円くらいの葉巻とそんなに違わないのである。「えっ!」である。1本12万円の葉巻をいま2本、24万円を燃やしているのである。灰にしているのである。しかし、何の感動もない。シュワルツェネッガーやジャイアント馬場が毎日、愛煙してきた葉巻である。湿度管理は、しっかりやってきたのにである。

開高健がいただきものの数10万円するロマネ・コンティ1935年を飲んだときと同じだった。

夢は、煙と消えた。

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バルセロナ ランブラス大道り

孤独というのは、群衆のなかで、黙ってひとりで立っていることである。

孤独というのは、騒音のなかで、無音を感じることである。

孤独というのは、あふれる色彩のなかで、無色になることである。

尾崎放哉は詠んだ。「咳をしても 一人」

樹の上で、頭をもたげ、毅然と立つ一匹の鳥。

孤独は、たのしいものである。贅沢なものでもある。

45年前の異国の通りの屋台で、焼き栗を買って食べたことを思いだした。

そして、今回のあの通りでの無残なテロ。

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熱中症とは

昔、山登りに明け暮れていた頃、釣りに耽溺していた頃、恋に溺れていた頃、私はまさに熱中症だった。

ふり返ると、何かに熱中できるということは幸せなことであろう。

一生、何かに熱中できるひともいる。たとえば、ピカソや棟方志功のように。そして、下町の工場で小さなネジを作ることに熱中してるひとのように。うらやましい。

さて翻って、現在の私はというと、何もない。熱中するものが何もない。空中のなかの空気なのである。ぽかんとした空間に生きている。

私は、絶望的に無意味な人間なのである。嗚呼、虚無の絶壁にたたずむ一匹の犬。

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斎戒沐浴

この1週間ほど、シャワーを浴びていない。下着は取りかえたけれど、ここのところ涼しいので、シャワーを浴びる必要がない。面倒くさいしね。昔、旅をしていた頃は、シャワーなんて気にしなかった。髪があまりにバサついてくると、川に入って石鹸で全身を洗った。

いま、年若いGなんて、シャワーは浴びるが、いっさい石鹸やシャンプーは使わない。それが現在の健康法なんだそうである。

そいえば、昔滞在したサハラ砂漠の人々は年に1度も風呂に入っている気配がなかった。でも、清潔だった。湿度が低いせいもあるのであろう。地球上のほとんどの動物だって、一生のあいだに風呂に入ったりシャワーを浴びたりしない。人間だけ、なぜそういう習慣をもったのだろう、と深夜にフト考えた。

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九十九里への旅(3)

枕が柔らかくて眠れなかったというと、K君が硬い枕を用意してくれた。おかげで、2日目は9時間、熟睡することができた。

昨夜をふり返ると、K君とGと私で、日本の戦争責任について飲みながらいつしか侃々諤々の議論になっていた。結論をいうと、日本の軍部が行ったことは徹底的に悪いが、自分たちもあの時代に生きていたら、やはり軍国主義に染まって、嬉々としてアジアで殺戮をしていたであろうということだ。

そしてGと私がもっとも強調したのは、日本はアジアの国々に対して「ちゃんと謝罪していない」ということだった。悪いことをしたことを謝るのは恥ずかしいことではないのである。謝らないことが、恥ずかしいことなのである。たとえば、私は1973年にスペインの安酒場で、若い旅人8人ほどと飲んだことがある。みんな、どこから来たかと述べあった。そのとき、「ドイツから」と答えた男と「南アフリカから」と答えた男に、私は「フン」という対応をした。当時、まだドイツのホロコーストでの600万人のユダヤ人虐殺の記憶は生なましかったし、南アフリカのアパルトヘイト問題もリアルな現実だった。

しかしいま、ドイツはホロコースの戦争犯罪を全面的に謝罪することで世界で認められる国になった。そのことは、小学校から徹底的に教育されている。南アフリカはアパルトヘイトを全廃し、白人と黒人の融和政策をとっている。それらの国は国際的に認められるようになった。

翻って、日本は戦時中に行った戦争犯罪に対して、どの国にもはっきりと謝罪していない。義務教育の教科書でも、日本の戦争犯罪を正面から教えていない。Gは日本の学校に行ったことがないのだが、それらのことをたぶんインターネットで知ったのであろう。子どもたちの教育現場でそのことを教えていないことがもっとも罪であるという。日本は原爆を落とされたという戦争の被害国である。しかし、アジアで殺戮をくり返した戦争の加害国でもあるということをまず認めるべきであるというのである。

さて、九十九里の旅の3日目、朝食に生ホルモンとキャベツの味噌汁が出てきた、これには驚いた。お澄ましのように上品である。創作料理であろうが、うますぎる。やはり、料理はクリエイティブである。

最後に、庭に建てられたK君の陶芸工房を見せてもらった。本格的なものだった。我われはすべてに満足し、帰途のバスに乗った。うつらうつらしているうちに、東京に着いていた。

きょうは敗戦記念日、そして1昨日、2歳上の友人Sさんがすい臓がんで亡くなった。


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九十九里への旅(2)

さて、九十九里の2日目である。私はすでにヘトヘトに疲れていた。というのも、久しぶりにK君に会ったという高揚感もあって飲み過ぎていた。そして、あたえられた寝室の枕がふわふわの柔らかいスポンジのものだった。何度寝返っても寝つかれず、けっきょく私はリビングで朝までひとりで酒を飲んでいた。私は、固い枕でなくては眠れないのだ。

徹夜で飲んで、人生最高のシジミの味噌汁付きの朝食をいただき(手造り味噌の発酵具合が国宝級)。1時間だけ眠らせてもらい、昼からは予定どうりのハゼ釣りである。行ってみて驚いたが、ハゼ釣りというのは海の釣りではなく、川と海の水の交わる汽水域での釣りなのである。だから、見た目の景色は広い川の釣りになる。ルアー竿の糸の先におもりを付けて、その先の小さな針にイソメというミミズのような生餌をつけて、川にぶん投げる。そして、しばし待つ。たまに、ぷるぷるという小さな当たりがくる。それをゆっくりとリールで巻くという、のんびりとした釣りである。

Gは、スポーツというのを一切やらない。ランニングと森の中のウォーキングと、釣りだけである。だから、今回の釣りをずいぶんと楽しんだようだ。もう帰ろうといっても、なかなか竿をたたまなかった。「人世で、いちばん楽しい釣りだったよ」という。

釣果は3人で、ハゼ10匹、コチ2匹。そして魚市場で見つけたナガラミ、背黒イワシ、本マグロの赤身をK君が手早く食卓に出してくれた。そのあとに、ハゼ、コチ、白ナス、シイタケ、ゴーヤを目の前で天ぷらとから揚げにしてくれた。それにしても九十九里のハゼの天ぷら、それはそれはふわふわと身が柔らかくて、繊細な味わい。同じ江戸前の白身の天ぷらでも、キスより上等だとおもった。苦労して釣ったかいがありました。

すべて絶品、絶妙。K君に感謝多謝。


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九十九里への旅(1)

金曜日の午後5時、千葉九十九里浜の東金駅に、電車を2時間乗り継いでGと到着。友人のK君が出迎えてくれる。彼はこの地に移り住んで5年。写真家であり、陶芸家でもあるが、プロはだしの料理人でもある。初めて訪ねた家はほどよく趣味が良く、清浄な空気が漂っている。白い猫が一匹。名前はパル、人なっこい。捨て猫だったらしい。居心地が良いリビングでビールを飲んでいると、キッチンから次々と料理が運ばれてくる。

まずお通しとして地元産の目刺し、そして万願寺唐辛子。このあたりで、大分むぎ焼酎
二階堂のオンザロックスに切りかえる。そこにポテトサラダと自家製ローストビーフが
登場。ローズマリーとニンニクの香りがほのかにする。そして庭のバーベキューセットの炭火で焼いた牛タン、ラムチョップステーキ、レバー、地元産の生ホルモンという至福の肉攻めであった。とにかく初日は、肉の日だとのこと。

庭に見事なソテツの木があった。5本は横に3メートル、1本は縦に3メートルの幹をのばしていた。K君は東京にいたときよりも、縦横に10メートルくらい大きくのびやかに暮らしていた。

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てふてふ

きょうは、どんよりとした蒸し暑い夏の日だが、ベランダにオレンジ色の蝶が一匹、数時間も行ったり来たりしている。

それで久しぶりに高校時代に愛読したジュール・ルナールの「博物誌」を思いだした。


  二つ折りの恋文が 花の番地をさがしている



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熱中症


先週の水曜日から金曜日にかけて、家でずーっと飲んでいた。ほとんど食事をせず、ベッドで本を読んでいた。

さて金曜日の午前3時過ぎ、がんがん飲んで、エアコンを切り、網戸にして寝た。そんなに温度は高くないけれど、やたら湿度の高い夜だった。 数時間後、全身、汗まみれで目が覚めた。Tシャツを着替えて、水をがぶがぶ飲み、また寝るのだがまた汗まみれ。シーツも掛けタオルも汗でびっしょり。それをくり返して昼前に起きたのだが、足もとがおぼつかない。壁づたいに歩くのがやっと。脱水症だと考え、とにかく水を飲んだ。1升瓶に1本は飲んだ。しかし、しばらくするとそれをすべて吐いてしまった。食事をしていないので、すべて胃液。あとはベッドに伏せて、やり過ごすしかない。手負いの熊である。しかし夜、なにか食べなくてはと思い、温泉卵と山芋のすりおろしたものを無理やり口に流しこむ。だが10分後、それもすべて吐いてしまった。

翌日は、少量のお粥を2回にわけて食べた。その翌日は、焼肉弁当を買ってきて半分ほどを食べた。徐々に体力が回復してきて、昨日は塩鮭、納豆、キムチ、味噌汁などのいつもの食事ができた。最近はほぼ1日1食だが、これでずいぶんと元気になった。

こういうことは、いままでも年に数回あったし、たんなる飲みすぎだろうと思っていた。しかし、昨日の朝日新聞の朝刊で「コータリンは要介護5」というコラムを読んで驚いた。熱中症になった人の体験談が紹介されているのだが、その症状が私とほとんど同じなのである。つまり、私は熱中症にかかっていたのである。私はほとんど家から出ないので、熱中症というのは関係ないと思っていた。

そして、医者のアドバイスも載っている。「熱中症の予防はまず、ちゃんと食事をとり、寝ることです」。そして大量の水を飲むと血中の塩分濃度が足りなくなり、水中毒になり、むしろ逆効果になる。スポーツドリンクか経口補水液を飲むのががイイ。

私、さっそく、ポカリスエットを買ってきました。


ロックって、何だ?


いま酔って目が醒めると、深夜のラジオからミック・ジャガーのバラードが流れている。それで、思い出したことがある。

5年くらい前だろうか。友人が数人、私の陋屋に遊びにきた。そのうちのふたりが、猛烈なローリング・ストーンズのファンだった。

そのひとりが言った。「こないだ、後楽園に、ストーンズのコンサートに行ったんですよ。そしたら、入り口に並んでいた前の男が尻のポケットからチケットを落としたんですよ。オレは拾って、その男に渡そうとおもったんですけどね、そういうやさしさってロックでないでしょ。オレ、その落ちたチケットを無視しましたよ」

私は応えた。「そのチケットを拾って渡してあげるのが、ロックだろう」

モーツァルトだって、ベートーヴェンだって、マーラーだって、ショスタコーヴッチだって、思いっきりロックだ。もちろん、ジョン・レノンも。

気がついたら、当ブログも、700回目を迎えていました。いつも、ご愛読ありがとうございます。

九十九里

来月、8月の半ばに、私はGと千葉の九十九里に旅に出る。友人のK君が、そこに棲み、焼き釜をかまえているのである。彼の本業は写真家だが、なかなかの陶芸家でもある。

そのK君がいうには、九十九里はとにかく海の幸がうまい、とくにいまはハゼがべらぼうにうまいという。天ぷらにしたら、ひっくり返るうまさだという。それが、近くの浜でがんがん釣れるのだという。釣り竿は4本用意してあるという。

そこまで言われたら、行かずにはいかないでしょう。

東京駅の八重洲口からバスで1時間ちょっとだという。電車でも、そんなもんだという。

行ってきます。釣ってきます。飲んできます。2泊3日の小さな旅。ワクワクしてます。

私は、とにかく湘南嫌いの、房総好きなのだ。

少年時代の夢といえば、昆虫学者になりたかったことである。青年時代の夢といえば、女風呂を覗きたかったことである。どちらも、かなわなかった。

夢というのは、夢であって、現(うつつ)ではないのである。

きのうも、妙な夢を見た。ヤマモトという、昔ちょっとだけ仕事をしたことのある男とその女房(会ったことがない)と一枚の布団に寝ているのである。「いやだ、いやだ」とおもいながら、ねばっこい寝汗をかきながら目が覚めた。なんで、忘れていたどうでもいい男のことが夢に出てくるのだろう。去年の年末に脳ミソをやられて、その記憶の奥からそういうどうでもいいことが出てくるのだろうか。ひどく、寝起きが悪かった。いまおもうと、彼はただ広告界で有名になりたくて、私にすり寄ってきただけの男だった。

かとおもえば、私には素晴らしい夢を見た思い出が多すぎる。
子ども時代は北海道の野山を駆けまわり、毎日が天国だった。20代はヒッピーでさまざまな国を漂っていた。30歳手前で手に職を得てそれなりに面白く生きてきた。素晴らしい女性たちにも出会った。NZで、凄い鱒釣りを体験した。5ポンドオーバーの鱒を釣りまくった。ずいぶんと恵まれた人生だったとおもう。

もう、あした、死んでもいいです。


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