So-net無料ブログ作成
検索選択
前の15件 | -

小説2


 三つの水の物語       Three Streams Stories


                   ジャック・オコーナー 


                   渡辺裕一 訳


第2話「祖父の川」



文字が小さい場合は、「表示」で拡大してください。

小説

 三つの水の物語       Three Streams Stories 

                   ジャック・オコーナー  

                   渡辺裕一 訳


  三年前の年末から年明けにかけて、私は一週間の休日をとり、ニュージーランドに遊んだ。フライフィッシングによる、鱒釣りをたのしむためである。かの地は、天然の巨大な鱒が釣れることで、世界中の釣り師の憧れの地となっている。しかも南半球は夏のまっさかり、絶好の釣りシーズンである。

 南島のほぼ中央にあるワナカ湖を拠点として、私はその周辺に流れるジンクリアと例えられる清澄な川を釣り歩いた。そして、五〇センチを超えるブラウントラウトとレインボートラウトを何匹も釣り上げ、至福のときを過ごした。

 旅の最後の日は、帰国便の離陸地であり、南島最大の都市であるクライストチャーチ散策にあてた。その日の夕方、街の中心にある大聖堂の裏側にあたる通りをぶらぶらと歩いているときである。一軒のほの暗い古本屋に足がとまった。店内を覗くと、太った白髪の老人が奥で本を読んでいる。私は日本でも、古本屋を見つけると、つい掘り出し物を物色する癖がある。黴臭い匂いのする店に足を踏み入れ、本の背表紙をつらつらと眺めていると、奥に釣り関係の本を数十冊集めたコーナーがあった。 

 その中からたまたま手にとったのが、この『Three Streams Stories』であった。クリーム色に濃いグリーンの縁どりをした表紙に、ひかえめな大きさのタイトルと著者名、そして小さな毛鉤のイラストがさりげなくあしらわれている。ぱらぱらとページを繰ると、釣りにまつわる短篇小説集であることがわかった。奥付には、著者名とニュージーランド南オタゴ出身、一九四五年生まれとだけ書いてある。白髪の店主に、この著者はどのような作家なのかと訊いてみたが、肩をすくめて知らないと応えるだけだった。安価なこともあり、旅の思い出として、私はその地味で飾り気のない本を買い求めた。

 日本に帰国後、仕事にかまけて、その本のことは忘れていた。そして一年ほどたった頃、寝室の片隅に積んだままになっていたその本がふと目にはいり、手にしてみた。そして、読んで胸に響くものを感じた。この本の著者の抱えている孤独と寂寥感のようなものに、私のこころが共振したのである。本の発行元にこの本の著者と連絡をとりたいと手紙を出したところ、一か月ほどたって返事がきた。その本を書いたジャック・オコーナー氏は、いまクライストチャーチの以下の住所にあるホスピスに入院している、というかんたんな文面だった。

半年後の正月休み、私はまたニュージーランドに向かった。一応、釣り竿は持参したが、今回の主な目的は彼に会うことだった。

 街はずれのホスピスは、おもっていたよりも清潔で小奇麗だった。個室の背もたれをすこし斜めに起こしたベッドに、ジャック・オコーナー氏は横たわっていた。肺がんを患い、痩せて、年齢よりも老けて見えた。しかし、事前に手紙を出していたせいか、彼はおだやかな笑顔で私を迎えてくれた。そして、ゆっくりと、噛みしめるように言葉をかわしてくれた。

 そのときに知ったのは、彼は長年、クライストチャーチにあるカンタベリー州立大学で英文学の教鞭をとっていたということ。家族とはずいぶん前に別れたこと。フライフィッシングを子どもの頃から趣味としてきたこと。『三つの水の物語』は、十年ほど前に出版した唯一の著書だということ。ちいさな出版社から小部数を出しただけなので、たいして評判にもならなかったことなどを枯れた声でたんたんと話してくれた。

私は、この本を読んで大いに共感するところがあったことを正直に述べた。彼は、日本人の私が、南半球のちいさな国の無名の人間が書いた小説に関心を寄せたことが不思議でならないようだった。とまどっているようにも見えた。

私は、日本には釣りの紀行文学はあるが、釣りの小説、とくにフライフィッシングのすぐれた小説はないのです。だから、できればこの本を日本語に翻訳して、日本の人々に広く読んでもらいたいのですと率直に申し入れると、意外なほどあっさりとそれを許してくれた。

自分は、もうすぐこの世から去るであろう。その後に、日本のどこかで私の書いた物語を読んで何らかのことをおもってくれる人がいるとしたら、それはそれで愉快なことだ。そのとき、私の魂は日本の空の上をさまよっているかもしれないよ。そう言って、彼はすこし笑った。

                                訳者


第1話「小屋」 


文字が小さい場合は、「表示」で拡大してください。

フランス

先日、フランス大統領選があり、マクロン候補が勝利した。極右のルペン候補は敗れた。

結果的にはよかったとおもう。そもそもルペンが主張していたフランスのEUからの離脱はまちがっているのである。フランスはいままでどおり、ヨーロッパの一国でいいのである。島国の日本人の感覚からいうとわかりにくいかもしれないが、ヨーロッパは地つづきである。車で国を越えても、また同じ景色がつづいている。では、どうやって国境ができたのか。それは言葉である。訛りのちがうところから、そこに自然に国境線が生まれていった。昔、司馬遼太郎の「街道をいく」でそんな説を読んだおぼえがある。

新フランス大統領のマクロンも、Macronという姓をみると、あきらかに出自はスコットランドかアイルランドである。Macではじまる名前だから。現大統領のオランドという姓は、そのままオランダ人という意味である。つまり、ヨーロッパはひとつであり、ヨーロッパの国々は日本でいう県である。だから、EUという考え方は自然なのである。日本でいえば、今度の首相の先祖は岩手だ、山口だ、鹿児島だというようなものだ。たいしたことではない。

言葉だってそうだ。いまは、とくにIT時代では、英語が世界のスタンダードだが、そもそも英語という言語も、フランス語とドイツ語とゲール語をミックスして文法を合理化し、新しくつくられていったものだ。合理化された言語だから、世界中に伝播された。

ところでマクロン氏の奥方は、24歳年上のなかなか魅力的な女性だ。夫と3人の子どもがいた高校時代の国語教師だとか。そこを強引に口説いて、ふたりは結ばれた。これは典型的な、古典的なポルノ小説のパターンだ。「先生、ぼく、もう・・・」「いけません、そういうことは、だってあなたは、あぁ、だめ、そこは・・・」である。

私は、そういう恋愛至上主義のフランス文化を敬愛する。

つれづれなるままに

何が、ゴールデンウィークだ。こっちは、1年中、ゴールデンウィークだ。テレビのニュースで、高速道路の渋滞映像を見ながらビールを飲むのが趣味なんだ。てやんでい。

というわけで、私も黄金週間というのをだらだらと酔いどれて過ごしておりましたが、いつものように何の収穫もありませんでした。しいていえば、数年前にNHKーBSで録画しておいた「セントラルステーション」というブラジル映画を見ていたく感動したくらいでしょうか。すこし重い映画だとおもっていたので見ることをためらっていたのですが、これがすごかった。脚本も、演出も、映像も、役者も、すべて素晴らしかった。すべての人に見てほしいとおもう映画だった。数年に1度会えるかどうかという名画だった。オススメです。

あとは、ボルチモアの大学院に行っているGから「やっと音楽や芸術で何をやるべきかが見えてきた。それは未来の宗教みたいなものかもしれない」というメールをもらったこと。

もうひとつ、日清の「どん兵衛鴨だしそば」というカップ麺、これはよくできている。うまいです。(お湯を注いで、3分ではなく5分がいい)

舌の上の王国

深夜、グラスを傾けながら、記憶の王国にふらりと旅をする。つらつらと思いつくままに。あぁ、うまかったなという、舌の上の回顧禄です。

北海道では、やはり京極ふきだし荘のジンギスカン。ふるさとの味だから。あとは、弘前大勝寺の門前にあった屋台の津軽蕎麦、八戸の鮫駅近くにあった大洋食堂のイチゴ汁、山形のなんとかいうさびれた温泉の干しシイタケの出汁のきいたラーメン、東京では高橋(たかばし)いせきの泥鰌丸鍋(いまはダメになったが)、赤坂砂場のかき揚げ天もり、そして京都のすっぽん大市、たん義の鮒ずし、大分中津の肝で食べるフグ刺、沖縄石垣島定食屋のイカ墨汁。

海外では、香港の上海蟹、バンクーバーの中華街入り口にあった店のワンタンメン、ロスアンジェルスの創作レストランのナマズのから揚げ、ニューヨークはブルックリンのステーキハウスのTボーンステーキ、アカプルコ郊外の露店での激辛アホ・デ・ソパ(ニンニクスープ)、バルセロナのウナギ稚魚のオリーブ煮、リスボンの鶏の足の煮込み(もみじ)、フランスはリオン郊外で食べたフォアグラのソテー、ニュージーランドのブラッフオイスター。

生意気なグルメ噺をお許しください。弁解を許されるなら、これらはそんなに贅沢な体験談ではありません。きわめて個人的な体験であり、ただただ舌と胃の腑にきざまれたつよい思い出を記しただけです。

しかし食の記憶というのは、官能の記憶でもあり、生の記憶でもあると、つくづくおもうのであります。香港の砂肝入りの朝粥もうまかったなぁ。パクチーがぱらりと乗って。


英雄

弘前高校の4年先輩に、Oという男がいた。寡黙で、クラシックギターを弾くのが趣味。飲み屋で会うといつもくたくたの黒いスーツを着ていた。小柄だった。

彼の同学年だったマサに聞いたのだが、Oは父親が亡くなったとき、ベートーヴェンの
交響曲第3番「英雄」を部屋におかれた亡骸を前に大音量で流したそうである。

その後、クラシックギターを学びにスペインに行くといって、まわりの人々から餞別をもらい、それをすべて飲んでしまって、横浜の苦海に身を沈めた。典型的な津軽男であり、生まれてきてスミマセンである。その後、彼とは偶然飲み屋で会ったがスペインはたのしかったという話しかしなかった。しかし、スペイン語のビール、サルベッサという言葉も知らなかった。そこで、彼はスペインに行かなかったことを私は知った。

30年以上前であろうか。ふらりと弘前に行き、一番町にあるホテルに泊まり、上の階のバーのカウンターに座ると、目の前にOがいた。彼はもちろん私のことを知っているが、こちらに同行者がいたこともあり、ただ黙々と酒をサーブしてくれた。

いま、ベートーヴェンの「英雄」を久々に聴きながら、そんなことを思いだした。

生きる


クルマを運転したことはない。ゴルフをしたことがない。カラオケで歌ったこともない。

でも、素晴らしい女性たちと会った。たくさんの本に出会った。たくさんの旅をした。

十分ではないか。十全ではないか。でも、円はまだ閉じない。

無期懲役という、なかば幸せな人生を歩きつつ、たまに空を見上げてひとり笑う。

でも、もっと酒を飲みたい。もっと音楽を聴きたい。もっといい女と会いたい。

なぜ、人間はもっと生きたいとおもうのだろう。たとえ、寝たきりになっても。

本能だろうか。たぶん、そうだろう。汚泥の中に落とされても、生きものは生きたいのだ。

未練というのは、見れんなのか、未恋なのか。

宙吊りのまま、私は、きょうも生きている。


(先日、横浜の入院病棟で、そんなことをおもった)



今村は、なぜバカになったのか

一昨日、今村雅弘という復興相が「あの震災は、東北でよかった」と講演で語った。震災では1万8千人を超す死者・行方不明者を出し、6年後のいまも約7万人が仮設住宅での生活を強いられているのにである。テレビのニュースを見ながら耳を疑い、唖然とした。失言とか暴言以前であり、絶対に口にしてはいけないこどだというは子どもでもわかる。なぜ、ここまでヒドイ大臣が出てくるのだろう。安倍はなぜこういう男を復興相に任命したのだろう。

翌日の朝刊で、今村の経歴を見て、その謎がすんなり解けた。佐賀県出身、東大法学部卒、国鉄入社、政治家へ。ポイントは、東大法学部卒です。どのマスコミも書かないとおもうので、ここにはっきりと書きます。

東大法学部というのは、東大の中でも別格の最上級なのです。地方だと、その県の何年来の秀才NO・1です。理由は受験の難易度がいちばん高いから。そこに受かっただけで、役人の道であろうが、民間の道であろうが、将来のエリートコースは保証されるわけです。私もJRグループのキャンペーンを3年ほどやって、全国JR6社をプレゼンテーションで何度も訪ねました。会議室の真ん中でふんぞり返っているのが東大法学部OBです。10歳以上も年上の部下を「オイ、オマエ」呼ばわりです。そういう人間に何人も会いました。高校時代は受験勉強に明け暮れ、大学に入ってからも他者を蹴落とすための勉強漬けという青春なので、「人間とは」とか「人のこころとは」ということを学べないのでしょう。そして社会に出ると、東大法学部卒というだけで殿様あつかいです。出世街道まっしぐら。どんどんカンチガイした人間になっていくわけです。その典型が今村です。

20数年前に、私が気づいたことがあります。汚職、収賄などの事件で東大法学部OBの逮捕者がやたら多いのです。その数はあの武闘派でしられる国士舘大学OBの比ではありません。逮捕者の多い大学OBでは、東大法学部は日本一です。理由はかんたんです。権力をにぎっている人間のところには、甘い話ですり寄ってくる輩がどんどんきます。うまくやると、ものすごい金がかんたんに手に入ります。しかし腋があまいと、内部告発などで一発でアウトになります。私の知人も数年前、もちかけられたインサイダー取引の話に手をだして、それが内通され、某大企業の次期社長コースの座からいきなり失脚し、退社しました。

東大法学部があるかぎり、もちろん立派な人間も輩出するでしょうが、今村的人間をこれからも多く世に出すでしょう。


追従しない

「トーホグは、ツヨイんです」。「上々颱風」というバンドのメインボーカルをつとめてきた白崎映美の言葉である。私は30年ほど前から彼女の猛烈なファンだった。いまもときどき、CDを深夜に聴く。

30数年後の彼女である。先週、朝日新聞の夕刊で、彼女のその後を連載していた。美貌はそのままだが、「まずろわぬ人」、つまり、ある小説から「東北人はなにかに追従しない人」という言葉に目覚めたという。東北人は、もともと縄文人であり、蝦夷シと呼ばれ、日本の中央とはつねに反体制側にあり、差別されてきた。

白崎映美は東日本大震災で、もう一度、自分の立ち位置に目覚めたのだという。山形県酒田市出身の東北人としての自身に。「トーホグは、ツヨイんです」。子宮でものを考えるというよりも、毛深き恥骨でものを考える美しい女性だ。青森県弘前市に4年間暮らしたことのある私も、彼女の気持ちはなんとなくわかるし、激しく共鳴する。

いままた、「上々颱風」の『愛があるから大丈夫』を聴きながら、そんなことをおもった。

完治

きょう、頭の手術を受けた横浜の病院に再々検査にいった。CTスキャンを撮り、そのモニター画像を見ながら、私の頭にドリルで穴をあけた30代後半とおもわれる執刀医はいった。「もう薬の服用も、検査の必要もありません。完治しました」

たしかにモニター画像には、頭蓋骨と脳のあいだにあった血液の影はいっさいなく、きれいなものだった。まるで宇宙にうかぶ土星のように、頭蓋骨の内側に脳がたゆたっていた。

私は悪運がつよいのであろう。今回も、まわりの人々に心配をかけ、世話になり、助けてもらった。生かされて、すみませんという気持ちである。

でも、この度はさすがに私も反省した。そして、実感した。生きるということは、かくじつに死に向かって歩をすすめることだと。咲いたものは散ってゆく。それは、この世でもっとも公平な摂理であると。

日本人がことさらに桜を愛でるのも、そんな死生観が根底にあるのではないでしょうか。


道を説く

「やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君 」

与謝野晶子のこの詩を私はことあるごとにおもいだす。新聞を読んでいて、テレビを見ていて、道を歩いていて、いままで何千回おもいだしたことであろうか。とくに、後半の「さびしからずや 道を説く君 」のくだりを。先ほども、下町に住む友人Sと電話で話していておもいだした。

Sがいうには、倉本聰の鳴り物入りのテレビドラマがはじまったので女房と見たのだが、ほんとうにくだらないんだよね。そう思うこっちが、まちがっているんだろうか。

私は答えた。そりゃあそうだよ。倉本聰はどこかでかん違いした人間だよ。人生とは何か。人の生き方とは何か。地球の環境問題とは何か。そういうことをマジで話したり、書いたりする人間だよ。まともな人間なら、恥かしくてできないでしょう。でも、そういう人間だから、「北の国から」みたいな人間「臭い」ドラマを書けたのでしょう。

もう20数年ほど前であろうか。私は北海道に仕事で行ったおり、後輩のYが倉本聰の「富良野塾」に入っていたので、3人ほどで一升瓶を2本ほどもって訪ねた。富良野郊外の山深い森にその塾はあった。そこの集会場でYと我われは酒杯を重ねたのだが、そこで目にした光景はすこし変わったものだった。純粋な、透きとおった眼をした青年たちが行きかっているのだが、私には彼らが自分の意志以上のものに自分自身をゆだねているように見えた。つまり、オウムのサティアン的なものを感じた。

それ以降、私は倉本聰の立派な人生観みたいなものを見聞するたびに違和感を感じるようになった。

「やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君 」

「サラダ記念日」俵万智の、与謝野晶子「みだれ髪」の解釈はこうである。

「燃える肌を抱くこともなく 人生を語り続けて寂しくないの」


看護婦さん

先日、頭をやられて横浜の脳神経外科病院に入院したときのことである。

手術に立ち会ってくれた看護婦さんが、めちゃくちゃ可愛かった。最初、病室に入ってきたときに「エッ!」とおもった。身長155センチくらいの笑顔の天使。しかし、いまの看護婦さんはあの白い帽子をかぶっていないし、スカート姿でもない。ポニーテールで、濃い紫色のVネックの上着に白いパンツである。

「あと2時間後に手術です。パジャマからこれに着替えてください。下は、ふんどしです」という。そして、血圧を計られた。「あら、かなり、高いですね」。私は答えた。「あなたが計っているからですよ。ふふッ」。彼女はうっすら恥かしそうに言った。
「よくいうワ」。これも、セクハラだろうか。

手術が終わって、3階から5階の病室にベッドに横たわったまま搬送された。そのとき、もうひとり先輩の看護婦さんが付き添ったのだが、先輩が後輩の彼女にいった。「あなた、ほんとキレイで可愛い顔をしているね」。変わった会話だな、とおもった。それは、私が言いたかったセリフだ。

その可愛い看護婦さんは去年、愛媛から出てきた24歳。私は「ときどき5階のこの部屋にきて」といった。しかし彼女は「それはできないんです。私は3階の勤務なので、できないんです。渡辺さんが3階にきてくださいよ」。しかし、それでは、ストーカー行為ではないか。それでも、その後、1回だけ3階にストーカーいたしました。

でも脳神経外科の病室というのは、みんな頭をやられて、「武器よさらば」とか「西部戦線異常なし」の野戦病院状態ですからね。許してください。


ポーカー・フェイス

アメリカのラスヴェガス、ホテルのカードテーブルで、3人の男とポーカーをしていた。ひとりは白人、ひとりは中東系、そして東洋人の男と私で4人。みなタクシード姿であり、自信ありげにほほ笑んでいる。カードの半分には、各国首脳陣の顔が描かれている。

私に最初に配られたカードには、アベ、イナダ、トランプ、があった。その時点で、勝ったとおもった。馬鹿のスリーカードである。私は手札を見ながら、ほくそえんだ。しかし正面に座ったMr・コウと名のる東洋人の男はカードを見ながら、あくまでも幸せそうな柔らかな顔でブルゴーニュの赤ワインをゆったりと傾けている。この時点で、私たちの左右の太りぎみの男たちはやや浮かない顔でバーボンのオンザ・ロックスを飲んでいる。私は内心笑いながらも、あくまでもポーカー・フェイスをよそおった。

さて、その次のカードが配られた。私にはスペードのエース、シリアのアサドがきた。アベ、イナダ、トランプ、アサドである。最強である。そして、最後の1枚はフランスのルペン大統領候補だった。世界を代表する馬鹿ども5人。私はバーテンダーを呼び、スカイ島のスコッチ、タリスカーのストレートをもう一杯注文した。そのとき、4人のあいだではブラフのかけあいで、賭け金は10万ドルまで引きあがっていた。日本円で1000万円くらいか。テーブルの下で、足にちょっとチカラがはいった。

そして、ドン! それぞれのカードの御開帳である。左右の客は撃沈。私は自信たっぷりにカードをならべた。何しろ、世界最悪の馬鹿5人である。でもその後、正面のMr・コウは私よりも余裕たっぷりにカードをテーブルにならべた。そこには、アベ、イナダ、トランプ、アサド、そしてキム・ジョンウンのカードがずらりとならんでいた。ロイヤル・ストレート・フラッシュである。

負けた。完璧に負けた。でも、なぜか清々しかった。そこで、目が覚めた。

今朝、そんな夢を見た。


そもそも

いま、ニューヨーク市の酒場で煙草を吸える店は1軒もないはずだ。煙草を吸いたくなった客は外に出て吸う。そこに灰皿は置いてなく、携帯灰皿という文化をもっていない彼らは吸い殻を何のためらいもなく路上に捨てる。それは清掃人の箒で、あるいは雨に流されて排水溝に落ちていき、地下水道の籠に溜まる。それを週に1度ほどくるバキュームカーが太いパイプを排水溝におろして、他のゴミとともに大音量で吸い取る。私は10年ほど前の朝、そういう光景をホテルの窓から見ていた。アメリカ中がいま、そういう状況になっているようだ。東京も、2020年のオリンピックに向かって、そういう「先進国並み」の禁煙都市をめざしているようだ。

しかし、最近の米国ミステリーを読んでいて例外のあることを知った。アメリカのあちこちの田舎には煙草を吸い放題の酒場があるというのだ。インディアン居留区(Indian reservation)、その地域にある酒場ではいまも煙草は吸い放題なのだという。なぜなら、煙草は彼らアメリカ先住民の「そもそも」の文化なのだから。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、彼らはそこにあった煙草と梅毒をヨーロッパに持って帰って広めた。つまり煙草を吸うという文化はヨーロッパ人がアメリカに来るまえからあったものであり、あとから来た者がツベコベいうことではないということだ。ネイティブアメリカンに煙草を吸ってはいけないというのは、大昔から日本人が食べていた鯨を食べるなというのと同じ西洋人の身勝手な理屈と同じだ。

トランプ大統領は大の嫌煙家であり、いま公共の場で煙草を吸ったすべての人間を禁固
1か月以上、あるいは1000ドル以下の罰に処するという大統領令を用意しているらしい。それに対抗して、全米ネイティブアメリカン人権同盟は以下のような指令を地下ネットに流したという。

金髪の、奇妙な髪形の、人種差別主義者の、女性差別主義者の、同性愛差別主義者の、白人優位主義者の、ピンク色の肌をした70歳くらいの大柄なドナルドという名前の男を見つけたら、ただちに拉致して全裸にし、彼のクチとケツの穴に火のついた煙草を数10本突っこみ、自由の女神像から逆さ吊りにしてよろしい。

もうひとつ、トランプ大統領は1月24日、ダコタ・アクセス・パイプライン(DAPL)の工事を進め、カナダのアルバータ州からアメリカのネブラスカ州までの1179マイル(約日本の北海道から九州までの距離)をつなぐ石油パイプライン建設を手がけるトランスカナダ社に、オバマ前大統領が2015年に却下した建設計画の再申請をするように促す大統領令を出した。トランプは建設再開で、2万8000人もの雇用を生む素晴らしい建設計画だと誇らしく述べた。

この建設が強行されることに対し、スー族インディアンの首長会議は、我われの居住区近くを流れる飲料水の水源であるミズーリ川が汚染されてしまうと訴え、アメリカの首都ワシントンでこの3月10日、ダコタ・アクセス・石油パイプラインの建設に抗議する数1000人の支援者らとティピーと呼ばれるあの円錐形のインディアンテントで1週間におよぶ泊まり込みのデモを敢行した。「そもそも」この土地は、父祖の代から数万年にわたって我われの生きる土地だったのだと主張した。そして、全米ネイティブアメリカン人権同盟は以下のような指令を地下ネットに流したという。

金髪の、奇妙な髪形の、人種差別主義者の、女性差別主義者の、同性愛差別主義者の、白人優位主義者の、ピンク色の肌をした70歳くらいの大柄なドナルドという名前の男を見つけたら、ただちに拉致して全裸にし、彼のケツの穴から体内に、パイプで石油の原油1000リットルほどを送り込んでよろしい。

追記しておく。最近、アメリカでいちばんの医学部をもつジョンズ・ホプキンス大学の精神科教授3人が緊急報告としてNYタイムズに共同意見を寄稿した。「ドナルド・トランプ大統領は最近の言動をうかがうかぎり、典型的な偏執的自己愛症であり、切迫性被害妄想症である。できるだけ速やかに、しかるべき施設に収容すべきである」と。

きょうは、4月1日。私には、すこし妄想癖がある。


真空管

私は、1日中よく音楽を聴く。オーディオ装置は、それなりにちゃんとしたものである。30数年ほど前に揃えたものだが、いまもイイを音をだしてくれる。スピーカーは英国の銘機タンノイの旧型スターリング、プリアンプとメインアンプは伝説のラックスのすべて真空管によるもの、CDプレーヤーは英国のARCAMである。アナログのレコードプレーヤー、つまりターンテーブルはやはり英国の銘機ガラード301を使っていたが、アナログレコードを聴かなくなったので手放した。

さて、私が主に聴くのはクラシック音楽だが、これらのオーディオ装置はそれらの音源をみごとに再現してくれる。ピアノはコツンという硬くて重心の低い音までを響かせてくれる。ヴァイオリンの音は羊の腸をよじってつくられた弦を馬の尻尾でつくられた弓でこすりながら弾く音をあざやかに奏でてくれる。弓に塗った松脂の粉が弦をこするときに飛ぶ景色が見えるときもある。もちろん、オーケストラのたっぷりと量感のある響きも、オペラ歌手の喉の濡れた粘膜の震える様子も、眼前にうかぶ。至福のときである。

音には温度も、湿度も、明度も、匂いもある。それらを存分に再現してくれるのは、オーディオの心臓であるアンプだと私はおもう。人間がつくる、人間的な温度のある音楽を再現してくれるのは、やはり真空管のぬくもりのある音だと私はおもう。デジタルの音とは、そこが大いに違う。

深夜、適度に酔いが回ったところでアンプの電源を押す。ゆっくりと、ぼーっと、真空管が赤い光を発する。アンプが温まるまで、すこし待つ。さ、何を聴くか。このしばしの時間がいいのである。

真空管の機器で飛ぶ飛行機、トランジスタやデジタルで飛ぶ飛行機。どちらが墜ちやすいかというと、後者であるそうだ。そりゃそうだろう、鳥だって、蝶だって、アナログで飛んでいるのだから。

そこで、ふとおもう。デジタルって、そんなに進化したものなのだろうかと。ベートーヴェンの弦楽四重奏の第14番はデジタルで聴くよりも、真空管のアンプで聴いた方がいいし、もちろん生の演奏がいいに決まっている。

進化とは退化だ、と古い私はいつもおもってしまう。

「死とは何か?」と問われたアインシュタインは、「モーツァルトを聴けなくなることだ!」と言下に答えたという。いま、真空管のオーディオでモーツァルトの魔笛を聴きながら、私はアインシュタインの答えに深く首肯するのである。

「死とは、モーツァルトを聴けなくなることだ!」


前の15件 | -