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よろこびとかなしみ


言葉なんかおぼえるんじゃなかった

言葉のない世界

意味が意味にならない世界に生きてたら

どんなによかったか


田村隆一のこの有名な詩の一節が、ときどき頭をよぎることがある。
私は20代の半ばからフライフィッシングという西洋式毛鉤釣りに耽溺してきた。そのためもあって、巨大鱒の本場ニュージーランドに移住もした。それまで、小学校の低学年の頃から餌による川釣りを愉しんできた。そしていまふり返ってみるに、釣りそれ自体を全身で無邪気に愉しんでいたのは、けっきょく子供時代の素朴な餌釣りだったような気がする。原初的なよろこびとでもいおうか。
さてそれでは、その無邪気な愉しい餌釣りにもう一度戻れるかというと、それがそう簡単にはいかない。フライフィッシングの疑似餌による釣りというのは自然を模倣することで自然に近づくという、ある意味で反自然的な遊びといえる。たとえばニセ札で買い物をするという全身総毛立つようなスリルを知ったあとでは、本物のお札で買い物をしても興奮できないようなものかもしれない。パンドラの匣はもうあけられてしまったのである。

知ることで知る哀しみがある。知の哀しみという。 

  

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鮨屋


先ほどまで、NHK-BS3で「究極のすし」という番組を見ていた。

まったく、くだらない。主に銀座の有名鮨屋が紹介されていたが、それらの店で出る鮨は「どうだ!」「凄いだろ!」「うまいだろう!」「たかいぞ!」「銀座で鮨が食えるようになった自分がうれしいだろう!」の世界なのである。それが、まったくたいしたことではない。つくられた虚飾の世界である。

とおもってこのブログを書きはじめたら、そのまま、やはりNHK-BS3で美の壺の「江戸の鮨」がはじまった。まず舞台は四谷荒木町の鮨屋Kからである。この店は私も友人に連れられて何度か訪れたことがある。ここは本物。私は酒飲みなので、飯を食いながら飲むという鮨屋があまり得意ではない。しかし8年ほど前、初めて友人に連れていってもらって、うなった。コハダの新子にうなった。「すごい!」とつぶやいたら、目のまえにささっとまたコハダの新子が四貫おかれた。うまかった。しゃりは、小さい。

この鮨屋のたたずまいは、まったく街のどこにでもある小さな鮨屋である。しかし、知る人ぞ知る凄い店なのである。あのイチローが日本に帰ると、成田からまっすぐ駆けつけるという。タモリもお忍びで。あの有名フレンチシェフも、あの人も、あんな人も。カウンター10席だけの、地味だけどすごい鮨屋なのである。70歳くらいのオヤジはただ丸い顔をにこにこさせて鮨を握っているだけ。店のつくりはまったく立派ではない。むしろ地味すぎる。ハッタリや妙な緊張感はいっさいない。

鮨屋はこうでなくっちゃ、という店である。



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成人式なんて


成人式で振り袖がどうした、着付けができなかった、ということがテレビのニュースを騒がせている。どうでもいいことだ。

私は昔から成人式のことをニュースで見るたびに、不思議におもっていた。オトナになるって、そんなにオメデタイことなのか。あんなに金をかけた着物を着てはしゃぐことに意味があるのか。レンタルでも20万円以上らしい。まったくわからない。

そういうバカなことに金をつかうバカな親の気持ちがわからない。その金を教育に遣いなさい。

「人間というのは、何歳でオトナになるのか」まず、そこを考えるべきであろう。私だって70歳に近いけれど、まだオトナになっているかどうかの自覚がない。そもそも成人とは何んなのだ。人に成るのだったら、3歳でもいいわけだ。

私は20歳になったとき、すでに放浪していた。成人式なんて知らなかった。新宿あたりをさまよっていた。函館から蟹工船に乗ったのは20歳の4月だった。カムチアッカの海に4か月間いた。そこで1日14時間働いた金で、横浜から移民船あるぜんちな丸に乗ってアメリカに渡ったのは21歳の5月だった。1971年のことだ。そこから、えんえんといまに至るまで、私の旅はつづいている。

いずれにしても、日本人にとっての成人式は日本の行く末を憂うべき行事である。

日本の成人式とはオトナになることを承認する儀式ではなく、幼児性を認めるじつに村社会的で恥ずかしい反グローバルな儀式なのである。みっともない。

私が日本の首相なら、来年から廃止にします。




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自由とは


何かに束縛されないこと。

何かにかしづかないこと。

想いが空を飛ぶこと。

季節の草花を愛でること。

川や海で釣りをすること。

好きな本と音楽をもっていること。

いい友人をもっていること。

うまい酒を飲めること。

とても幸せなこと。

とても孤独なこと。


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さくら


私には、3歳下の妹がいる。札幌に住んでいる。料理が、きわめて上手。夫は大手建築会社の建築家でダムや何かをつくっていたが、いまはリタイアして悠々自適、もっぱらネットでの競馬で遊んでいるらしい。きわめてジェントルマン。

その妹から昨日、届け物があった。その箱をあけるけると、自家製の鰊漬けや鮭のいずし、北海道のジャガイモ3種類とミカン。そして手袋と帽子、厚い靴下が入っていた。

それらをすべて身につけて、鏡を見たら、ホームレスのおじいさんだった。でも、とてもあたたかかった。たぶん、その気持ちがあたたかかったのだろうな。遠い空の下で、ふらふらと生きている兄を心配してくれる妹がいる。ありがたいことである。

「お兄ちゃん、寒いけどだいじょうぶ」「「うん、だいじょうぶだよ。さくら」

 寅

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厄年


今年は、大変な年であった。1年前に酔って転んで頭の中に血がたまり、2月に頭蓋骨に穴をあけて血を出し、頭の中を洗浄した。

夏の夜、ベッドで寝ていて熱中症になった。全身、汗まみれ。脱力して、起き上がるのもやっと。シーツに人のかたちの汗模様が残った。

10月半ばの明け方、酔って、自宅で転んだ。左上腕部の亀裂骨折。9割がた治ったが、いまだ痛い。完治せず。

そして先週末に、喉がイガイガしてきた。鼻水が止まらない。月曜日に病院に行くと、「風邪です」とあっさり言われて薬を処方された。火曜日に、進行中の仕事の打ち合わせがあったのだが、キャンセルした。頭がボーッとしているし、皆さんにうつすリスクが高すぎる。この仕事は久々におもしろい案件で、それぞれに得意分野をもった6人が傭兵のように集められた。30歳くらいの若者もいるし、女性もいる。年齢性別に関係なく、とてもフェアに意見を出しあう場だ。

それを私はキャンセルした。残念だった。咳が止まらない。1日200回ほどの激しい咳で腹筋を痛めた。幻覚も幻聴も体験した。でも昨日からカラダが動くようになり、1時間の散歩もできた。ちょっと難しい本も読めるようになった。4日ぶりに煙草を吸えるようになった。しかし、こんなひどい風邪をひいたのは何年ぶりだろうか。まさに鬼の霍乱である。

この風邪を最後とし、今年の厄をすべて払いおとし、いい新年を迎えたいものである。


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フリーざんす


先日、コピーライターの日暮真三さんのブログを拝見していたら、フリーランスというのも大変だよという話が書かれていた。あの黒澤明だって3年間、映画を撮らせてもらえなくて、「本当につらかった」といっていたそうである。http://blog.livedoor.jp/beermywitch/archives/74033472.html

私も、一生をフリーランスで生きてきた。運だけで生きてきた。勤め人をしたこともない。28歳の頃に、ふらふらっと、いまの仕事にはいった。けっこう実入りがいいのでつづけた。遊ぶ金欲しさにそのままつづけてきた。女子高校生売春みたいなものである。流れながれて生きてきたので、年金ももらえない。ま、年金を払ったこともないので、それはそれで仕方ないでしょう。

私も80年代の後半に、食えない時代があった。サントリー缶ビールなどの派手な仕事をしていたが、それが終わると、いきなり1年半仕事がスパッとなくなった。その頃、私は結婚していきなり犬3匹、猫2匹と一緒に棲むことになった。最初の頃は預金を切りくずしてやっていたが、情けないなという気分になってきた。金がなくなると、ペットフードも安いものに手がのびるのである。

その頃、先輩コピーライターの長沢岳夫さんがその窮状をそれとなく察して「税金対策だからサ」といって私の口座に200万円を振り込んでくれた。それで、私はなんとか生きのびた。一生の恩人である。いまも会うと辛辣な言葉をかわす仲だけれど、いつも内心はスミマセンとおもっている。

そういう絶壁状態のときにJALと日新カップヌードルの競合プレゼンの仕事がきて、どちらも勝った。私は、生きかえった。「只今、JALで移動中。」と「ちからこぶる。」である。

今年も10カ月ほど仕事がなかったが、ここのとところいきなり忙しくなってきた。これがフリーランスという生き方である。

人生は、明るい絶壁の上にある。


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ボクサー

昨夜、世田谷の羽根木での打ちあわせが終わり、東横線の祐天寺で降りてなじみの居酒屋に寄った。

ビール、ハイサワーと飲みながら、焼きトンと名物の豚尾(トンビ)豆腐をいただく。ナガラミもいただいた。

満席の店内でヘアバンドをして忙しく立ち働いている男がいた。見覚えがある。20年ほど前の深夜に、ボクシング中継で見た男だ。たしかフライ級かジュニアフライ級の日本選手権だったとおもう。腰を落として、ロングフックを激しく撃っていた。その試合は負けたとおもうが、面構えがよかった。

その彼がいた。最後にカウンターを片づけにきた彼に、「キミはいいボクサーだったよ」と私はささやいた。彼は聞こえないふりをした。

勘定をして店を出て10メートルほど歩いたころだろうか。後ろから足音がしてふり返ると、彼がいた。「きょうはありがとうございます」といいながら、私の右手を両手でつよく握りしめて、「ありがとうございます」とくり返した。まっすぐな目線だった。

自身の青春の一瞬の輝きを見ていた男がいたことに、彼は驚いたのであろう。


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忘年会


昨夜は、ハンドメイドのフライ竿をつくっている茗荷谷のマッキーさんの工房での忘年会があった。もう40年近く続いているが、ずっと同じ顔ぶれの30人ほど。もとは裏銀座の新富町。

去年の同じ忘年会の前日、私は朝方に酔って転んでアスファルトに頭をうちつけて卒倒した。その後、頭蓋骨に穴を開けて血を出して、脳内を洗浄することになった。あれから、もう1年。おもえば、遠くへ来たもんだ。

40年もたったら、みんな歳をとる。昨日も還暦祝いの赤い釣りベストを進呈された男がふたりいた。秘密結社の赤いちゃんちゃんこ。

さて、ぐるりと場をみわたすと、いつもの顔ながら名前も素性もしらない。皆さん、ただただ大いに笑いながら酔っぱらっているだけである。社会的地位なんて、もちろん知らない。お互いの名前を語らずに、たのしく会話はすすむ。理想的な集まりではないか。

これを私は自分のなかで、日本のKKKと名づけた。あの悪名高きクー・クラックス・クランではない。くだらなくて、きどらなくて、きもちいい、のKKK。

すばらしい飲み会でした。

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手負いの熊

10月半ばに酔って転んで、左上腕部に亀裂骨折を負った。めちゃくちゃ痛い日々で、気分は大いに滅入った。寝返りも打てない。ベッドから降りるのに15分ほどかかるほどだった。足にちからを入れても左腕に激痛が走るのである。トイレに行くのも大変だったので、ベッドの上で横になったまま洗面器に小便をするほどだった。情けない。障害者や戦傷兵のことをおもった。しかし、それはすべて自業自得なのである。

食事もつくれないので、ずっとレトルト食品かスーパーのパック寿司だった。これも虚しい。いいかげん飽きてくる。だから、飲むしかない。虚しさは、つのるばかりである。

シャツ1枚着替えるのでも、「アーーーッ!」と声が出るほどの激痛である。だから1週間、同じ服を着たまま。シャワーも1週間にいちど。でも、やっと風呂に入れるようになった。

いまは西行の心境か。「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ」

いずれにしても薄皮を剥ぐように、すこしずつ痛みがうすれてきた。きょうの夕方、入浴後にずいぶんと痛みが消えたことに気づいた。もう大丈夫だとおもう。

病院で最初に、「治るまで2か月かかります」といわれたが、それは正しい診断だった。私は病院嫌いなのでその後行ってないが、正しい診断だった。ただただ手負いの熊のように、傷が治るのを待っていた。骨がくっつくのを待っていた。

明日から、久々に新しい仕事の打ち合わせがはじまる。何ごともなかったように、私はそこに参加しようとおもう。

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今回の大相撲騒動

日馬富士は〇、貴ノ岩は×、貴乃花は×××。貴乃花は10年以上前から頭が狂っています。ま、彼はひとり新興宗教ですね。リベラル派らしいけれど、大相撲は古風でいいのです。古いから、いいのです。引退すべきは貴乃花です。


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アイリッシュ・ビートルズ

もう30年ほど前に何かで読んだ記憶で書くので、細部の正確度はおぼつかない。

なぜ1960年代、イギリスのリバプールでビートルズというあれほど世界中にショックをあたえるロックバンドがとつぜん生まれたのか。

それは、リバプールというイギリス北西部に位置する港町の土地柄にあったようだ。リバプールのすぐ西側にはアイルランド島があり、その島は19世紀初めにはイギリスに併合され、19世紀半ばには主食とするじゃがいもが絶滅して大飢饉が起こるという悲惨な時期がつづいた。そして、800万人余の人口のうち約400万人がイギリスやアメリカに移住するという事態になった。

そのとき、アイルランドから白人奴隷として多くの人々が移り住んだのがいちばん近いリバプール港だった。生活ぶりはきわめては厳しかったが、アイルランド人には精霊の物語を受け継ぐ精神と音楽のメロディを愛する伝統があった。同じ頃、アフリカから黒人奴隷がリバプールに次からつぎに送りこまれてきた。彼らは地元の伝統的なリズムをはこんできた。つまり、アイルランドのメロディとアフリカのリズムがリバプールで出会ったのである。それが、いわゆるリバプールサウンドである。

そういう土壌で、ビートルズの4人はラジオでエルヴィス・プレスリーを聴いた。ショックをうけた。エルヴィスは白人なのに黒人のように歌った。白人のトラック運転手が腰を振りながら歌った。白いブルースだった。それに衝撃をうけたリバプールの若者たちはツァラトウストラの啓示をうけた。俺たちも、こういうカッコイイ、ノリのいいロックンロールをやろうぜ! 自然発生的に、あるいは必然的にビートルズは生まれた。

ちなみに、ビートルズのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソンはアイリッシュ移民の子孫、リンゴ・スターは労働者階級のイングリッシュだそうである。

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深夜にラジオを聴いていると、シューベルトの〝鱒″が流れてきた。開高さんはこの曲が好きだった。

スコットランドの旅の車中で、こういう会話があった。

「私は、あの曲を聴くとね、こんなことを思って切なくなるのよ。つまり、年老いた音楽教授がね、年若い女学生に恋をするんだ。その女学生は、まるで清い水の中を美しい裸身で泳ぐ鱒なんだ。老教授は狂おしいほどの気持ちでその姿に恋をする。しかしある日、その若い娘の前にハンサムな青年があらわれて彼らは結ばれる。あっさりと釣られてしまうのよ。老教授は、とうぜんのこととは知りながら絶望する。悲嘆する。明るい曲想だけれど悲しい曲なのよ。ま、これはいち小説家の妄想ですけどね」

「開高さんは、誰のピアノによる〝鱒″がお好きですか」「うーん、・・・・!」。翌朝、答えがあった。「ゼルキンやな」。私は答えた。「ゼルキンはいいですね。でもぼくは、ブレンデルです」

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ときどきの、こころのくぼみ


「カッコイイって、カッコワルイんじゃないの。」

というコピーを大昔、サントリー缶ビールのペンギンのボディコピーで書いたことがある。いまおもいだしても、そうおもう。カッコイイって、カッコワルイんだ。そして逆に、カッコワルイって、カッコイイという例もある。蛭子能和みたいに。その昔なら、
たこ八郎みたいに。

私も、どんどんカッコワルイ老人にむかっている。外出するときは、いつ転んで倒れてもいいように、最近はフェルトの帽子をかぶっている。できればヘルメットをかぶりたいくらいだが、それは見た目にすこし異様であろうからひかえている。手の甲にはあばたがうかび、考え方はかなり偏屈になっている。老いの自覚は大いにある。

私がこうありたいとおもう晩年を迎えたカッコイイ男たちは、だいたいが昔の文人たちである。夏目漱石、芥川龍之介、正岡子規、幸田露伴、永井荷風、井伏鱒二、小林秀雄、北杜夫、吉行淳之介、吉村昭、開高健、野坂昭如などである。

しかし私は彼らのようにカッコイイ晩年を迎えられそうもないので、明日にでもコロリと死にたい。彼らのようにちゃんと生きたわけでもない。てきとうに、でもずるくはなく、生きてきたつもりだ。

サヨナラだけが 人生だ。

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深夜の音楽


作曲家は創造主であり、指揮者は救世主であるかもしれない。つまり、神と伝道師のような関係なのかもしれない。

バッハやモーツァルトやベートーヴェンやブラームスは、誰もが聴いたことのない美しい音楽を創った。チャイコフスキーやワグナーやマーラーもそうでしょう。

そして、フルトヴェングラーやトスカニーニやクライバー、カラヤン、オザワがその楽譜を真剣に解釈して指揮して演奏した。そこに、ときどき奇跡のようなときがうまれた。歴史に残る名演奏である。

それをふくめて、私はそういうCDを日々聴いている。恵まれているとおもう。いうならば、ただしく翻訳された聖書を読んでいるようなものだ

いま、ベートーヴェンの交響曲第1番を古楽器によるジョン・エリオット・ガーディナー指揮で深夜に聴きながらそうおもった。

深夜というのは、深く甘美な夜の底である。


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