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図書館への道

私の住むアパートの近くに、図書館がある。週に、1度か2度訪れる。途中に清々しい空気の流れる神社があり、いまは参道の奥に梅の木がひかえめに花をつけている。そして、境内にはいつも数匹の猫がいる。野良猫だとおもう。みんな、茶色のブチである。いつも私を上目づかいに見る。その目はいつも、「おまえ、ちゃんと生きてるか」というまなざしである。おおきなお世話だとおもう。

その先の図書館の目の前に、4棟ほどの大きな都営住宅がある。そのいつも通る道の8階建ての2階にゴミ屋敷がある。ベランダにあふれんばかりのありとあらゆるゴミが積み重なっている。家の中は見えないが、ときどき電灯がともっている。たぶん、住民や管理組合のあいだで問題になっているのであろうが、この10年なんの動きもない。私はいつも、その景色を見るたびに、どちらに味方していいのか悩まされている。

私は20代前半のころ、図書館に勤めたいとおもっていた。好きな本を読むだけの人生を過ごしたいとおもっていた。しかし、それには司書とかいう資格がいると知り、あきらめた。車の免許をとるのもイヤなのだから、そんなことは面倒くさい。

10年ほど前だが、憧れの「国会図書館」に行った。国内で出版されるすべての本が収められているという、私にとっての宝島ある。万巻の書が延々とつづく書庫をさまよい歩くわが身を想像した。しかし、そこにあったのは、数100台並ぶパソコンだけで、本の並ぶ書架はひとつもなかった。国会図書館は閉架式で、パソコンでデータを調べ、希望の書籍を申し込むというシステムだった。数10分待つと、地下の書庫からその本が運ばれてくるという無味乾燥な図書館だった。

私は子どものころ、読書好きの父親と札幌に行くたびに、丸善に同行した。そこには、頭がクラクラするほど読みたい本がいつも並んでいた。いつも、未知の世界に踏み込む探検気分だった。子供ごころに、丸善というのは特別な存在だった。

父親のことを思いだすとき、いつも札幌の丸善のことを思いだす。


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KEVIN

図書館で思い出すのは、中学の同級生で秀才のMのことです。
彼は区立図書館でいつも見かける娘に一目惚れし、あらゆる手を尽くして、彼女の地元を特定するという、今で言えばストーカーまがいのことをしていましたが、まあ中坊のやることですから微笑ましいものでした。
Mは都立の一番偏差値の高い高校に進学しましたが、母親を早くに亡くし、世の不公平に憤りを感じ、共産党員になったと聞きました。
最後の消息は塾の教員でしたが、今は何をしているのかわかりません。
by KEVIN (2017-02-11 12:10) 

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