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シャバダバダ

先週の土曜日の昼、横浜の病院を退院した。帰宅してすぐ、10日ぶりにビールを飲んだが思ったほどの感動はなかった。夕方、近くの神社に散歩がてら出かけた。境内に梅の木が数本、紅白の花を咲かせていた。その甘酸っぱい香りをかぎながら、「あぁ、生きている」と実感した。

入院中はあわてて持ちこんだノンフィクションや海外ミステリーを数冊読んだが、どれもいまいちだった。それで、見舞いに来るというHとMに夏目漱石の「吾輩は猫である」(新潮文庫)を所望した。私はこの歳まで「猫」を読んでいないことを気にしていたのである。そして読んで、驚いた。とてつもない教養小説なのであった。社会を風刺した噺だということは知っていたが、漢学と西洋文学を学びつくした漱石の処女作であり、そこに彼がすべての知識を遊びごころとともにはき出したものだった。真面目に読むと、難解といってもいい。とにかく現代版は脚注だらけである。当時、漱石の本の初版は2000部ほどだったというが、むべなるかな。とても、大衆が読みこなせるものではない。旧制高校卒以上のインテリしか相手にしていない。でも、それ以降の職業作家になってから書いた「坊ちゃん」や「こころ」「それから」などはもっとはるかに読みやすい。私のいちばん好きな「草枕」もしかり。処女作の「猫」がその難解さがゆえに一部高等遊民だけに受けたことを漱石は卑下したのかもしれない。だって、食うために働いて生きるほどツマラナイ人生はない。そのてん猫は気楽なもんだ、という本音を書きつらねたのだから。
ともあれ、「猫」は入院でもしていなければ読みこなせない小説であった。そしてやはり読むべき、こころに残る名作であった。

火曜日の朝、宅急便が届いた。昔、京都に住んでいたころの友人、バッグデザイナーH氏からのものだった。30年ほど前、私は彼にアウトドア用のショルダーバッグを作ってもらった。英国製の「ブレディ」というバッグを基調としたモスグリーンのものだった。私はそれを毎日、どこに行くにも携えて出かけた。スコットランドで、開高さんに「キミ、ええバッグ持ってるな」ともいわれた。しかし、30年以上も過ぎ、さすがにそれもくたくたにヘタッてきて、代わりの似たようなバッグを使っていた。だが、それも数年でヘタッてきた。そこで昨年の11月頃に、H氏に昔と同じものを作ってほしいと電話をした。「もうあのバッグの型紙もあらへんけど、昔のがあるんなら、送って。そのうち気が向いたら作るわ」
そして火曜日、新しいバッグが送られてきた。新作は生地が黒で、ふちどりの皮とショルダーベルトが焦げ茶。成熟した白髪のオヤジにぴったりのシブイ出来栄えである。あぁ、うれしい。完璧なデザインのショルダーバッグ。

バッグ・ツゥ・ザ・フューチャーなのだ。


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コメント 2

kunugi

元気そうでなにより。しぶといね。
by kunugi (2017-03-05 18:54) 

TAGOSAKU

10日ぶりのビールではなく
梅の香りで「あぁ、生きている」と
感じられるなんて、人生においてそう多くはないと思います。・
酒気帯びライフ、卒業ですね。
by TAGOSAKU (2017-03-07 02:01) 

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