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生還

娑婆の空気がやけにうまいぜ。本日、10日間ほどの入院生活を終えて、無事退院いたしました。

年末に、酔って転んで頭をうった。年明けに脳神経外科でMRI検査を受けると、頭の左半分、頭蓋骨の下にある硬膜とくも膜のあいだに血が溜まっていた。そのあと2週間おきにさらに2度MRI検査を受けたが、そのたびに血の量がふえて、その下の脳を徐々に圧迫していた。そして、その血液がかたまりつつあった。「硬膜下血種」という症状である。

そして10日ほど前の午後2時過ぎ、予約していた歯医者に行こうと準備をしている途中で右半身の自由がきかなくなり、ずるずると床にくずれ落ちた。起き上がろうとしても、全身不如意。今そこにある危機という状態に陥った。もがいてももがいても、机のまえの椅子に上がれない。いままでの自堕落な生活が走馬灯のように駆けめぐる。アルコールの海を漂いつづけた日々がよみがえる。走馬灯をおおう紙は黒い紙でできていた。けっきょく机の上に置いたケータイに手が届くまで、5時間ほどかかった。やっと連絡がついたKがかけつけ、救急車がきて、緊急病院に運ばれた。

翌日、従兄のKが名誉院長をつとめている横浜の大きな脳神経外科病院に移送。その翌日、手術が施行された。頭蓋骨の左側頭部やや後方に直径1センチほどの穴をハンドドリルであけ、チューブを通して溜まった血液を抜き、さらに生理食塩水を注入して内部を洗浄する。頭の中がきれいになったところで、あけた穴にサイズを合わせた人工骨(セラミック)の蓋をし、切開した頭皮をかぶせてホッチキスでつなぎ合わせる。頭蓋骨内部と外界とは細いドレインチューブでつながっており、血のまじった余分な分泌液は2日間にわたって外に排出される。ざっとこのような手術だったが、開口部の頭皮に局所麻酔をうったせいかさほど痛くもなく、30分ほどの存外にあっさりとしたものだった。

ともあれ今回の件で、頭だけでなく内臓のMRI検査も受け、血液検査も受け、おかげで血糖値が高く糖尿病になりかかっていることがわかった。原因はひとえに過度のアルコール摂取によるもので、今後は酒をひかえ、薬を処方してもらいながら対処することになった。一病息災。私は健康診断というものを10数年に1度くらいしか受けたことがないので、この度は人間ドックに入ったようなもので結果的には大いによかった。ケガの功名ともいえようか。

最後に今後の酒と煙草であるが、これを機会にすっぱり止めるかというと、私はそんなヤワな男ではない。一度はじめたことを途中で止めるような意志薄弱ものではない。今後も適度にたのしみたいとおもう。なにしろ私だって、頭蓋骨と脳のあいだにたっぷりと溜まった血の海をモニターで何度も見せられたのである。もう強い酒をがぶがぶと飲むような無茶はしない。ほどほどに嗜みます。


名前

だいたいグラスを傾けているときである。いま、自分に子どもが生まれたら、どんな名前がいいのだろうと考えることがある。まったくもって、いい歳こいてのフラチな妄想である。そして、おもう。

すくなくとも、晋三とか、慎太郎とか、ドナルドとか、アドルフとか、要一(マスゾエ)とか、朋美(イナダ)とか、早苗(タカイチ)とか、珠代(マルカワ)、というような名前はつけたくないナとおもう。

名前というのは大事である。いい仕事をしたひとは、いい名前が多い。例として、夏目漱石、太宰治、山田風太郎とあげながら、すべてペンネームと思いいたった。だがしかし、五木寛之、伊集院静というナルシスチックな名前も、本人がその気になったら華が咲くという例もある。ちなみに菊池寛、芥川龍之介、中原中也、開高健、野坂昭如、朝吹真理子は実名である。こうなるとやはり、なしとげた仕事に名前がついてくるということか。私の渡辺裕一という平凡な名前も、ちゃんとしていたら、ちゃんとしていたのかもしれない。生まれてきて、スミマセンである。

2週間前、久しぶりにアートディレクターの浅葉克己さんにちょっとした打ちあわせでお会いしたが、70代半ばにして異常に元気であった。全身をイッセイ・ミヤケの服できめて、ウフフッと笑っている。化け物である。100歳まで生きるのではないだろうか。
なにしろ、アサバカツミという名前に、バカとツミが入っているのだから。


図書館への道

私の住むアパートの近くに、図書館がある。週に、1度か2度訪れる。途中に清々しい空気の流れる神社があり、いまは参道の奥に梅の木がひかえめに花をつけている。そして、境内にはいつも数匹の猫がいる。野良猫だとおもう。みんな、茶色のブチである。いつも私を上目づかいに見る。その目はいつも、「おまえ、ちゃんと生きてるか」というまなざしである。おおきなお世話だとおもう。

その先の図書館の目の前に、4棟ほどの大きな都営住宅がある。そのいつも通る道の8階建ての2階にゴミ屋敷がある。ベランダにあふれんばかりのありとあらゆるゴミが積み重なっている。家の中は見えないが、ときどき電灯がともっている。たぶん、住民や管理組合のあいだで問題になっているのであろうが、この10年なんの動きもない。私はいつも、その景色を見るたびに、どちらに味方していいのか悩まされている。

私は20代前半のころ、図書館に勤めたいとおもっていた。好きな本を読むだけの人生を過ごしたいとおもっていた。しかし、それには司書とかいう資格がいると知り、あきらめた。車の免許をとるのもイヤなのだから、そんなことは面倒くさい。

10年ほど前だが、憧れの「国会図書館」に行った。国内で出版されるすべての本が収められているという、私にとっての宝島ある。万巻の書が延々とつづく書庫をさまよい歩くわが身を想像した。しかし、そこにあったのは、数100台並ぶパソコンだけで、本の並ぶ書架はひとつもなかった。国会図書館は閉架式で、パソコンでデータを調べ、希望の書籍を申し込むというシステムだった。数10分待つと、地下の書庫からその本が運ばれてくるという無味乾燥な図書館だった。

私は子どものころ、読書好きの父親と札幌に行くたびに、丸善に同行した。そこには、頭がクラクラするほど読みたい本がいつも並んでいた。いつも、未知の世界に踏み込む探検気分だった。子供ごころに、丸善というのは特別な存在だった。

父親のことを思いだすとき、いつも札幌の丸善のことを思いだす。


正常と異常

最近、私が当ブログの更新を怠っていることで、心配してくださっている方がいるようだ。転んで頭を打った予後のことで。

この正月、身近なKが私の会話の対応が鈍いと気づき、私の従兄の脳神経外科医Kに連絡をとり、その日のうちに横浜の彼の病院に連れていかれてMRI検査を受けた。かなり注意すべき結果がでた。2週間後にまたMRI検査を受けたが、症状は好転していなかった。

最初に従兄のKからは禁酒例がでたが、これまでの数十年間の飲酒生活をかえりみると、いきなり酒を断つのは逆にからだに悪いと考えて、私はゆるやかな節酒に切りかえた。それでどうなったのかというと、にわかにからだが軽くなり、食欲ががぜん増したのである。手の震えもおさまった。積極的に散歩をするようになり、読書量もよみがえった。つまり、かなり健康な状態にもどった。そして昨日、また2週間ぶりにMRI検査を受けたのだが、やはり症状は好転していなかった。Kは「たいしたことではないし、この状態とつきあっていくことだ」という。なんだか、不安をかかえながらの頭蓋との道行きである。

さて、節酒してわかったことがある。健康なからだになると、ブログを書こうというような気持ちにならないのである。いままで私は当ブログをいつもべろんべろんに酔った状態で書き連ねてきた。それでもあまり誤字脱字はなかったとおもう。でも、そこにアルコールの助けをかりた思考の飛躍はときどきあったとおもう。それがいきなりシラフに近い状態に戻ると、思考も低空思考をつづけて飛躍がないのである。まともではあるが、破たんがない。これはこれで、つまらないものである。だから、ブログを書かなくなった。

でも、これも一過性のものだとおもう。高濃度の酒気帯びライフから健全な酒気帯びライフへの移行。また徐々にブログを復調いたします。