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生きる


クルマを運転したことはない。ゴルフをしたことがない。カラオケで歌ったこともない。

でも、素晴らしい女性たちと会った。たくさんの本に出会った。たくさんの旅をした。

十分ではないか。十全ではないか。でも、円はまだ閉じない。

無期懲役という、なかば幸せな人生を歩きつつ、たまに空を見上げてひとり笑う。

でも、もっと酒を飲みたい。もっと音楽を聴きたい。もっといい女と会いたい。

なぜ、人間はもっと生きたいとおもうのだろう。たとえ、寝たきりになっても。

本能だろうか。たぶん、そうだろう。汚泥の中に落とされても、生きものは生きたいのだ。

未練というのは、見れんなのか、未恋なのか。

宙吊りのまま、私は、きょうも生きている。


(先日、横浜の入院病棟で、そんなことをおもった)



今村は、なぜバカになったのか

一昨日、今村雅弘という復興相が「あの震災は、東北でよかった」と講演で語った。震災では1万8千人を超す死者・行方不明者を出し、6年後のいまも約7万人が仮設住宅での生活を強いられているのにである。テレビのニュースを見ながら耳を疑い、唖然とした。失言とか暴言以前であり、絶対に口にしてはいけないこどだというは子どもでもわかる。なぜ、ここまでヒドイ大臣が出てくるのだろう。安倍はなぜこういう男を復興相に任命したのだろう。

翌日の朝刊で、今村の経歴を見て、その謎がすんなり解けた。佐賀県出身、東大法学部卒、国鉄入社、政治家へ。ポイントは、東大法学部卒です。どのマスコミも書かないとおもうので、ここにはっきりと書きます。

東大法学部というのは、東大の中でも別格の最上級なのです。地方だと、その県の何年来の秀才NO・1です。理由は受験の難易度がいちばん高いから。そこに受かっただけで、役人の道であろうが、民間の道であろうが、将来のエリートコースは保証されるわけです。私もJRグループのキャンペーンを3年ほどやって、全国JR6社をプレゼンテーションで何度も訪ねました。会議室の真ん中でふんぞり返っているのが東大法学部OBです。10歳以上も年上の部下を「オイ、オマエ」呼ばわりです。そういう人間に何人も会いました。高校時代は受験勉強に明け暮れ、大学に入ってからも他者を蹴落とすための勉強漬けという青春なので、「人間とは」とか「人のこころとは」ということを学べないのでしょう。そして社会に出ると、東大法学部卒というだけで殿様あつかいです。出世街道まっしぐら。どんどんカンチガイした人間になっていくわけです。その典型が今村です。

20数年前に、私が気づいたことがあります。汚職、収賄などの事件で東大法学部OBの逮捕者がやたら多いのです。その数はあの武闘派でしられる国士舘大学OBの比ではありません。逮捕者の多い大学OBでは、東大法学部は日本一です。理由はかんたんです。権力をにぎっている人間のところには、甘い話ですり寄ってくる輩がどんどんきます。うまくやると、ものすごい金がかんたんに手に入ります。しかし腋があまいと、内部告発などで一発でアウトになります。私の知人も数年前、もちかけられたインサイダー取引の話に手をだして、それが内通され、某大企業の次期社長コースの座からいきなり失脚し、退社しました。

東大法学部があるかぎり、もちろん立派な人間も輩出するでしょうが、今村的人間をこれからも多く世に出すでしょう。


追従しない

「トーホグは、ツヨイんです」。「上々颱風」というバンドのメインボーカルをつとめてきた白崎映美の言葉である。私は30年ほど前から彼女の猛烈なファンだった。いまもときどき、CDを深夜に聴く。

30数年後の彼女である。先週、朝日新聞の夕刊で、彼女のその後を連載していた。美貌はそのままだが、「まずろわぬ人」、つまり、ある小説から「東北人はなにかに追従しない人」という言葉に目覚めたという。東北人は、もともと縄文人であり、蝦夷シと呼ばれ、日本の中央とはつねに反体制側にあり、差別されてきた。

白崎映美は東日本大震災で、もう一度、自分の立ち位置に目覚めたのだという。山形県酒田市出身の東北人としての自身に。「トーホグは、ツヨイんです」。子宮でものを考えるというよりも、毛深き恥骨でものを考える美しい女性だ。青森県弘前市に4年間暮らしたことのある私も、彼女の気持ちはなんとなくわかるし、激しく共鳴する。

いままた、「上々颱風」の『愛があるから大丈夫』を聴きながら、そんなことをおもった。

完治

きょう、頭の手術を受けた横浜の病院に再々検査にいった。CTスキャンを撮り、そのモニター画像を見ながら、私の頭にドリルで穴をあけた30代後半とおもわれる執刀医はいった。「もう薬の服用も、検査の必要もありません。完治しました」

たしかにモニター画像には、頭蓋骨と脳のあいだにあった血液の影はいっさいなく、きれいなものだった。まるで宇宙にうかぶ土星のように、頭蓋骨の内側に脳がたゆたっていた。

私は悪運がつよいのであろう。今回も、まわりの人々に心配をかけ、世話になり、助けてもらった。生かされて、すみませんという気持ちである。

でも、この度はさすがに私も反省した。そして、実感した。生きるということは、かくじつに死に向かって歩をすすめることだと。咲いたものは散ってゆく。それは、この世でもっとも公平な摂理であると。

日本人がことさらに桜を愛でるのも、そんな死生観が根底にあるのではないでしょうか。


道を説く

「やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君 」

与謝野晶子のこの詩を私はことあるごとにおもいだす。新聞を読んでいて、テレビを見ていて、道を歩いていて、いままで何千回おもいだしたことであろうか。とくに、後半の「さびしからずや 道を説く君 」のくだりを。先ほども、下町に住む友人Sと電話で話していておもいだした。

Sがいうには、倉本聰の鳴り物入りのテレビドラマがはじまったので女房と見たのだが、ほんとうにくだらないんだよね。そう思うこっちが、まちがっているんだろうか。

私は答えた。そりゃあそうだよ。倉本聰はどこかでかん違いした人間だよ。人生とは何か。人の生き方とは何か。地球の環境問題とは何か。そういうことをマジで話したり、書いたりする人間だよ。まともな人間なら、恥かしくてできないでしょう。でも、そういう人間だから、「北の国から」みたいな人間「臭い」ドラマを書けたのでしょう。

もう20数年ほど前であろうか。私は北海道に仕事で行ったおり、後輩のYが倉本聰の「富良野塾」に入っていたので、3人ほどで一升瓶を2本ほどもって訪ねた。富良野郊外の山深い森にその塾はあった。そこの集会場でYと我われは酒杯を重ねたのだが、そこで目にした光景はすこし変わったものだった。純粋な、透きとおった眼をした青年たちが行きかっているのだが、私には彼らが自分の意志以上のものに自分自身をゆだねているように見えた。つまり、オウムのサティアン的なものを感じた。

それ以降、私は倉本聰の立派な人生観みたいなものを見聞するたびに違和感を感じるようになった。

「やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君 」

「サラダ記念日」俵万智の、与謝野晶子「みだれ髪」の解釈はこうである。

「燃える肌を抱くこともなく 人生を語り続けて寂しくないの」