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大工のウィリー

どうしているかな、とときどき思いだす。ニュージーランドに住んでいたとき、よく一緒に釣りに行った。ワハハッと笑いながら、ずいぶんビールとワインを飲んだ。とにかく、ワイルドな男だった。釣りも、狩猟も、本物だった。映画「クロコダイル・ダンディ」みたいな男だった。彼と会わなかったら、私はこんなにニュージーランドを好きにならなかったであろう。もう、彼とは何年も連絡をとっていない。連絡をとらなくても、おたがいに強いきずなをもっていると知っているからである。

大工のウィリー。鷲鼻の陽気な岩のような体をもった男。彼はスコットランドから少年時代に移民船でNZに移住し、中学校を出てから大工になり、ダム工事などの仕事につき、その後は沖中師などの荒っぽい仕事をつづけてきた。我われは、50歳のころに出会った。彼は沖中師をやっていたので、日本の船乗りに非常に悪い印象をもっていた。日本人はとにかく煙草を吸いながら、NZ人にえらそうに指示し、ユーモアの一切通じない人種だとおもっていた。

弁護士のクリスの紹介で知りあい、初めて3人で釣りに行ったとき、車の中でウィリーは日本人の悪口を言いつのっていた。クリスは「おいおい、後ろの席に日本人がいるんだぞ」「日本人に英語はわからないさ」。それが釣りをしたら、我われは親友になっていた。日本人なのに、冗談をいう私を面白いとおもったらしい。日本人にも、ユーモアがわかる人間がいるのかと。私は英語がヘタクソだが、冗談はいえる。

そこから、我われは親友になった。なんども、なんども一緒に釣りをした。大きな鱒を釣りあげ、大笑いした。釣り小屋で、大酒をくらった。

私が日本に帰ると知ったとき、その広い背中をガックリと落とし、とぼとぼと帰っていった姿がいまも目に浮かぶ。

友人は少なくていい、本当の友人が何人かいてくれたらいい。


数日前、Gがアメリカ東海岸のボルチモアから1年ぶりに帰ってきた。ポニーテールに壊れた眼鏡、肩にエレキギター。ま、ヒッピーの姿である。先週、23歳になった。ニューヨークで友人たちと、飲んで吸っての乱ちき誕生日パーティをやったらしい。

きょう、恵比寿の駅ビルで新しい眼鏡をつくり、そのあと近くの焼き鳥屋「田吾作」で飲む。サラリーマンで混みあうきわめて日本的な大衆居酒屋である。Gにいわせると、アメリカの友人が日本に来たら、ぜひこの店につれてきたいという。これこそ日本だ、という大衆的な店である。

彼はニューヨーク州立大学のパーチェスカレッジを卒業した後、ボルチモアのジョンズ
ホプキンス大学の大学院ピーボディカレッジに進み、この5月に1年目を終えた。きくと、かなり厳しい1年間だったらしい。なにしろ、学内にノーベル賞を受けた教授が20人以上いる大学だ。けれど、天才的な才能をもつ英国人教授に認められて充実したときを過ごしたという。1年後は英国の大学でドクターコースにいきたいという。奨学金も全額まちがいなくもらえるという。奨学金がもらえるなら、オックスフードでもケンブリッジでもどこにでもいきなさい。無料であれば、どこでもよろしい。

こっちは同じ年のころ、ヒッピーをやっていて、スペインかモロッコあたりをさまよっていた。放浪していた。漂っていた。ま、それぞれの歩いた人生が、そこで見たことが大学であるということだ。学ぶべきものがあれば。

酒を酌み交わしながらGが話すには、自分の考える哲学の先には最近いつも「禅」があるのだという。「無」があるのだという。自分は、もっと禅を勉強したい、体験したいという。私は、鈴木大拙を読みなさいといっておいた。大拙なら、いくらでも英文の本が出ている。

生きるということは、死を想うということだ。メメント・モリ。

時計

太田和彦という居酒屋評論家がいる。先日、久しぶりに彼のBS番組を見たが、相変わらずの気どりっぷりであった。札幌を飲み歩くのであるが、わが故郷を汚されているような気分になった。とにかく、酒にも肴にもエラそうな御託をたれるのである。

彼は、元資生堂のグラフィックデザイナーだったらしい。20年ほど前、友人のT君の車に乗っているとき、FMラジオでとにかく気どったやつがベラベラと喋りまくっていた。T君と「何だ、コイツ!」と話していたら、最後に太田和彦という名前がわかった。広告業界には、こういうカン違い野郎がときどきいる。

さて、そのBS番組だが、カウンターで生意気な口調で話している太田の手元を見ると、何だかギランギランのブランド時計をつけている。時計は、その人間の本性をずばりと現す。その人間の程度をあからさまに現す。自分に自信がない人間ほど、ブランド物の時計を身につける。わかりやすい。

居酒屋評論家として先鞭をつけていた太田だが、あとから現れた吉田類に一気に差をつけられた。吉田類の謙虚な態度に世間は好感をもったのである。

皆さん、時計には気をつけましょうね。


浪人

私は、浪人である。毎日、酒を飲んで、ぶらぶらとしている。金もないのに、無為な生活を過ごしている。明日をも知れぬ素浪人である。

先日、何かで漱石が晩年に友人にあてた手紙で、「浪人でいいんです」「私も浪人です」という文章を読んでホッとした。自堕落を許してくれるものだった。ま、それも自らを慰めるだけの自堕落なものだが。

一昨日、久々に銀座に行った。4丁目のライオンビアホールに寄ったら、すっかりデニーズみたいな味気ない内装になっていた。何を考えているのだろう。いい店だったのに。仕方ない。7丁目のライオンに行き、ビールとフイッシュ・アンド・チップスをたのむ。

あ、その前に、銀座シックスに寄り、バーブアでコートや帽子に塗るオイルの缶詰を買った。しかし、約3000円と高い。ロンドンだったら、1000円くらいだろう。すごい立派な紙袋に入れようとしてるので、「紙袋はいりません」と言った。こういうことで、日本はなんでも高くなっているのだろう。

そのあと、新橋で友人の石田君の営んでいる「いろり村」で飲む。となりあったムラカミさんという面白いオジサンと会話がはずみ、かなり酔って帰宅。沈没。

たまには、小さな旅もイイもんだ。

根を張る

数年前、NHKーBSのドキュメンタリー番組で英国の著名な女性園芸家が紹介されていた。そして、いまこの干上がった庭に水をやるべきかどうか、家族と侃々諤々の議論を闘わせていた。彼女はあくまでも水をあげるべきではないという論をはっていた。庭の草花はくたくたに干あがっていた。しかし、その数日後雨が降り、庭は一気によみがえった。

数週間前、NHKの園芸番組でやはり同じようなことが紹介されていた。植えたばかりの苗には最初だけたっぷりと水をあげ、あとはしばらく水をあげない方がいいというのである。苗は水を求めて、根をのばしていく。水はどこだ、水はどこだ、と必死に根をのばしていく。そして徐々に根を張っていく。

数日前、朝日の夕刊で新聞記者をやめて田舎で農業をやっている人のエッセイを読んだが、やはり野菜にはなるべく水をやらないと書いていた。過保護にしないということであろう。

いま私は、ベランダに植えかえた花々を見ながら、その根の生え具合を想像してニンマリとしている。根がしっかりとしてくると、やはり葉や花ががぜんハツラツとしてくるのである。

さて、私はこの世にちゃんと根を張っているのであろうか。根無し草のような気もするのだが。

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