So-net無料ブログ作成
検索選択

ロックって、何だ?


いま酔って目が醒めると、深夜のラジオからミック・ジャガーのバラードが流れている。それで、思い出したことがある。

5年くらい前だろうか。友人が数人、私の陋屋に遊びにきた。そのうちのふたりが、猛烈なローリング・ストーンズのファンだった。

そのひとりが言った。「こないだ、後楽園に、ストーンズのコンサートに行ったんですよ。そしたら、入り口に並んでいた前の男が尻のポケットからチケットを落としたんですよ。オレは拾って、その男に渡そうとおもったんですけどね、そういうやさしさってロックでないでしょ。オレ、その落ちたチケットを無視しましたよ」

私は応えた。「そのチケットを拾って渡してあげるのが、ロックだろう」

モーツァルトだって、ベートーヴェンだって、マーラーだって、ショスタコーヴッチだって、思いっきりロックだ。もちろん、ジョン・レノンも。

気がついたら、当ブログも、700回目を迎えていました。いつも、ご愛読ありがとうございます。

九十九里

来月、8月の半ばに、私はGと千葉の九十九里に旅に出る。友人のK君が、そこに棲み、焼き釜をかまえているのである。彼の本業は写真家だが、なかなかの陶芸家でもある。

そのK君がいうには、九十九里はとにかく海の幸がうまい、とくにいまはハゼがべらぼうにうまいという。天ぷらにしたら、ひっくり返るうまさだという。それが、近くの浜でがんがん釣れるのだという。釣り竿は4本用意してあるという。

そこまで言われたら、行かずにはいかないでしょう。

東京駅の八重洲口からバスで1時間ちょっとだという。電車でも、そんなもんだという。

行ってきます。釣ってきます。飲んできます。2泊3日の小さな旅。ワクワクしてます。

私は、とにかく湘南嫌いの、房総好きなのだ。

少年時代の夢といえば、昆虫学者になりたかったことである。青年時代の夢といえば、女風呂を覗きたかったことである。どちらも、かなわなかった。

夢というのは、夢であって、現(うつつ)ではないのである。

きのうも、妙な夢を見た。ヤマモトという、昔ちょっとだけ仕事をしたことのある男とその女房(会ったことがない)と一枚の布団に寝ているのである。「いやだ、いやだ」とおもいながら、ねばっこい寝汗をかきながら目が覚めた。なんで、忘れていたどうでもいい男のことが夢に出てくるのだろう。去年の年末に脳ミソをやられて、その記憶の奥からそういうどうでもいいことが出てくるのだろうか。ひどく、寝起きが悪かった。いまおもうと、彼はただ広告界で有名になりたくて、私にすり寄ってきただけの男だった。

かとおもえば、私には素晴らしい夢を見た思い出が多すぎる。
子ども時代は北海道の野山を駆けまわり、毎日が天国だった。20代はヒッピーでさまざまな国を漂っていた。30歳手前で手に職を得てそれなりに面白く生きてきた。素晴らしい女性たちにも出会った。NZで、凄い鱒釣りを体験した。5ポンドオーバーの鱒を釣りまくった。ずいぶんと恵まれた人生だったとおもう。

もう、あした、死んでもいいです。


タイの味

タイ料理を初めて食べたのは、1983年のニューヨークだった。たしか、グリニッチビレッジのあたりだったとおもう。激辛のトムヤム・クンスープに衝撃をうけた。真っ赤なスープに小海老が浮かび、レモングラスとパクチーの香味が独特だった。やみつきになり、東京でもタイレストランを探してはいただいた。翌年には、わざわざタイまでトムヤム・クンを食べに行ったほどだ。

一昨日、Gがタイ料理を食べたいというので、食通のN君に「いい店を知らないか」と訊ねた。というのも、タイ料理屋というのはどこも辛いだけで、同じような味がすると感じていたからだ。N君がいうには「ぼくは行ったことがないですが、渋谷にちょっとシブイ店があるそうですよ。パッポンキッチンという店で、ミシュランのビブグルマン(コストパフォーマンスのいい店)に選ばれたそうです」とおしえてくれた。

さっそく予約し、午後7時半、Gとその店を訪れた。東急本店の右奥を進み、2度曲がったところにその店はあった。カウンターに小さなテーブルがひとつ。10人も入れば満席という小さな店である。タイ人の中年夫婦と日本人の若いウェートレスがひとり。賑わっている。店に入ってアレッとおもったのは、タイ料理屋につきものの香菜(パクチー)の香りがしないのである。そしてもっと驚いたのは、メニューにトムヤム・クンがないのである。インドシナ半島というのは、アンナン山脈の東側にあるベトナムは中国文化圏であり洗練された料理が多い。山脈の西側はインド文化圏であり、料理は辛く、踊りは首を左右に振るものが多い。タイはインド文化圏であり、もちろん激辛料理の国である。それにしてもトムヤム・クンがメニューにないタイ料理屋というのは、日本中でここだけではないだろうか。

しかしこの店は、何を食べてもあっさりと優しい味であった。たぶんタイにも、中国文化圏の人々がいるのであろう。だがご夫婦のお顔はまったくタイ人のそれであり、つねに柔らかく笑い、微笑みの国の人であった。

おいしい料理をいただき、Gと赤坂に移動。グリニッチとKokageでカクテルとシングルモルトウィスキーを飲んで帰宅。爆睡。

ベートーヴェン弦楽四重奏第14番

むかし本で読んだ話ですが、フランスの作家マルセル・プルーストが晩年、当時ヨーロッパ最高といわれたカペー四重奏団をとつぜん深夜の自宅によんで、ベートーヴェンのこの弦楽四重奏を演奏してもらったそうです。
もう体は弱り、ベッドに横たわったままのプルーストは、そのあくまでも贅肉を削いだベートーヴェンの精神そのもののように透明な旋律に身をゆだねていました。薄暗い彼の部屋の床には、延々と書き継いだ「失われた時を求めて」の原稿が乱雑に散らばっていたそうです。

その小説は、いまや20世紀文学を代表するといわれる大長編です(フランス語原著にして3000ページ以上)。この終わりなき大河のような小説を書くことに半生を捧げた小説家が、晩年の深夜に、生演奏でひとり聴きたかった音楽がこの曲だったということに私は深く想いをいたします。

当時も、ヨーロッパには巨万の富を持つ人間はあまたいたでありましょう。しかし、深夜に超一流の四重奏団を自宅によぶという、ある意味でとんでもなく乱暴なことを敢行した人間はどれほどいたでしょう。そのような真の贅沢を味わった人間が何人いたでしょうか。

この曲は、ベートーヴェンが最晩年に作曲したものです。この大作曲家は、ピアノソナタ第111番にしても、交響曲第9番にしても、死ぬ間際にとてつもない作品を書いています。人類すべてのための遺産とも呼べる音楽をです。耳が聴こえなくなり、余命幾ばくとないということを感じてから、音楽世界のエベレストに爪を立てながら挑み、這いつくばってよじ登りました。そして、その未踏の頂きに辿りついたのです。

私は淋しいとき、切ないとき、孤独なとき、この曲をよく聴きます。そして、そこにあるきわめて人間的な祈りのようなものにこころを打たれるのです。

プルーストお気に入りのカペー四重奏団による、SP原盤から復刻したモノラルのCDも東芝EMIから出ています。すばらしい演奏ですが、ノイズ音の入った3枚組CDです。それが気にならなければ、お薦めです。

::::::::::::::::::::::::::::::::::

このエッセイは、知人のウェブサイトにたのまれて10本ほど書いたうちの1本です。
ご興味のある方は以下へ↓

https://www.50agingcare.jp/クラシック便り/