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時計

太田和彦という居酒屋評論家がいる。先日、久しぶりに彼のBS番組を見たが、相変わらずの気どりっぷりであった。札幌を飲み歩くのであるが、わが故郷を汚されているような気分になった。とにかく、酒にも肴にもエラそうな御託をたれるのである。

彼は、元資生堂のグラフィックデザイナーだったらしい。20年ほど前、友人のT君の車に乗っているとき、FMラジオでとにかく気どったやつがベラベラと喋りまくっていた。T君と「何だ、コイツ!」と話していたら、最後に太田和彦という名前がわかった。広告業界には、こういうカン違い野郎がときどきいる。

さて、そのBS番組だが、カウンターで生意気な口調で話している太田の手元を見ると、何だかギランギランのブランド時計をつけている。時計は、その人間の本性をずばりと現す。その人間の程度をあからさまに現す。自分に自信がない人間ほど、ブランド物の時計を身につける。わかりやすい。

居酒屋評論家として先鞭をつけていた太田だが、あとから現れた吉田類に一気に差をつけられた。吉田類の謙虚な態度に世間は好感をもったのである。

皆さん、時計には気をつけましょうね。


浪人

私は、浪人である。毎日、酒を飲んで、ぶらぶらとしている。金もないのに、無為な生活を過ごしている。明日をも知れぬ素浪人である。

先日、何かで漱石が晩年に友人にあてた手紙で、「浪人でいいんです」「私も浪人です」という文章を読んでホッとした。自堕落を許してくれるものだった。ま、それも自らを慰めるだけの自堕落なものだが。

一昨日、久々に銀座に行った。4丁目のライオンビアホールに寄ったら、すっかりデニーズみたいな味気ない内装になっていた。何を考えているのだろう。いい店だったのに。仕方ない。7丁目のライオンに行き、ビールとフイッシュ・アンド・チップスをたのむ。

あ、その前に、銀座シックスに寄り、バーブアでコートや帽子に塗るオイルの缶詰を買った。しかし、約3000円と高い。ロンドンだったら、1000円くらいだろう。すごい立派な紙袋に入れようとしてるので、「紙袋はいりません」と言った。こういうことで、日本はなんでも高くなっているのだろう。

そのあと、新橋で友人の石田君の営んでいる「いろり村」で飲む。となりあったムラカミさんという面白いオジサンと会話がはずみ、かなり酔って帰宅。沈没。

たまには、小さな旅もイイもんだ。

根を張る

数年前、NHKーBSのドキュメンタリー番組で英国の著名な女性園芸家が紹介されていた。そして、いまこの干上がった庭に水をやるべきかどうか、家族と侃々諤々の議論を闘わせていた。彼女はあくまでも水をあげるべきではないという論をはっていた。庭の草花はくたくたに干あがっていた。しかし、その数日後雨が降り、庭は一気によみがえった。

数週間前、NHKの園芸番組でやはり同じようなことが紹介されていた。植えたばかりの苗には最初だけたっぷりと水をあげ、あとはしばらく水をあげない方がいいというのである。苗は水を求めて、根をのばしていく。水はどこだ、水はどこだ、と必死に根をのばしていく。そして徐々に根を張っていく。

数日前、朝日の夕刊で新聞記者をやめて田舎で農業をやっている人のエッセイを読んだが、やはり野菜にはなるべく水をやらないと書いていた。過保護にしないということであろう。

いま私は、ベランダに植えかえた花々を見ながら、その根の生え具合を想像してニンマリとしている。根がしっかりとしてくると、やはり葉や花ががぜんハツラツとしてくるのである。

さて、私はこの世にちゃんと根を張っているのであろうか。根無し草のような気もするのだが。

ベランダの風景


花粉症も終わった。気候もよくなった。Tシャツに半ズボンの季節がやってきた。ということで、ここのところ、あかるいうちからベランダで飲むことが多くなった。

冬のあいだ咲き誇っていたビオラなどの可憐な花々が終り、新しい花への植え替え季節がやってきた。私はこのところ歩いて10数分のホームセンターに何度も通い、新しい苗を運び、リュックをかついで腐葉土や石灰を運んだ。そしてベランダの10数鉢を土替えしながら植えかえた。今年の新顔は夏すみれ、初雪草、日々草の夏みかんなど。イタリアンパセリやバジルがあるハーブのプランターには、今年からパクチーが加わった。きょうで、その植え替えがすべて終わった。ベランダの景色が生まれかわった。あたらしい苗を植えたばかりなのでまだ隙間があり、初々しい風景だが、あと3週間もしたらそれぞれの花々が咲き乱れてくれるであろう。

そうして土いじりが終わり、ベランダでグラスを傾けていると、青い空を背景に白い雲がさまざまな表情を見せる。鯨の親子、白い犬、美しい女性の横顔、じつに多様な姿かたちが流れていく。そして、たちまち消えていく。旅に出なくても、旅をしている気分を味わえる。

そして気づく。以前はよく目についたカラスとキジバトの姿が見えない。目につくのは、スズメばかり。季節のせいなのか、あるいは何かが変わりつつあるのか。

何かが変わるときは、ふだんの景色のままで、いつのまにかガラリと変わっているらしい。


いやはや

日本が世界に誇れる最大のものは、憲法9条であろう。「戦争はしません」という宣言である。

それをアベは、廃棄しようとしている。「戦争をします」と憲法を変えようとしている。さらに「共謀罪」を強引に通して、戦前の日本に戻そうとしている。自由な言論を閉ざそうとしている。さらにさらに、日本にカジノをつくろうとしている。不幸なギャンブル依存症家庭をつくるということだ。

アベは戦後最悪の宰相だとおもっていたが、戦前をふくめても最悪であろう。日本に本当の右翼、愛国主義者、国士がいるなら、アベを暗殺するべきであろう。それが本当の愛国者だ。しかし、それがいない。昭和天皇が崩御されたときも、殉死した右翼はひとりもいなかった。日本の右翼なんて、そんなもんだ。

そのアベ政権を支持する国民が50%以上だという。つまり、日本人の半分以上がバカだということだ。こんな国に住んでいることが、ほとほとアホらしくなった。

小説3

三つの水の物語       Three Streams Stories

                   ジャック・オコーナー 


                   渡辺裕一 訳


第3話「ラストピクニック」

https://drive.google.com/file/d/0B-jwzBcukKFnNEU0ZmItVGJDeDQ/view?usp=sharing

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小説2


 三つの水の物語       Three Streams Stories


                   ジャック・オコーナー 


                   渡辺裕一 訳


第2話「祖父の川」



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小説

 三つの水の物語       Three Streams Stories 

                   ジャック・オコーナー  

                   渡辺裕一 訳


  三年前の年末から年明けにかけて、私は一週間の休日をとり、ニュージーランドに遊んだ。フライフィッシングによる、鱒釣りをたのしむためである。かの地は、天然の巨大な鱒が釣れることで、世界中の釣り師の憧れの地となっている。しかも南半球は夏のまっさかり、絶好の釣りシーズンである。

 南島のほぼ中央にあるワナカ湖を拠点として、私はその周辺に流れるジンクリアと例えられる清澄な川を釣り歩いた。そして、五〇センチを超えるブラウントラウトとレインボートラウトを何匹も釣り上げ、至福のときを過ごした。

 旅の最後の日は、帰国便の離陸地であり、南島最大の都市であるクライストチャーチ散策にあてた。その日の夕方、街の中心にある大聖堂の裏側にあたる通りをぶらぶらと歩いているときである。一軒のほの暗い古本屋に足がとまった。店内を覗くと、太った白髪の老人が奥で本を読んでいる。私は日本でも、古本屋を見つけると、つい掘り出し物を物色する癖がある。黴臭い匂いのする店に足を踏み入れ、本の背表紙をつらつらと眺めていると、奥に釣り関係の本を数十冊集めたコーナーがあった。 

 その中からたまたま手にとったのが、この『Three Streams Stories』であった。クリーム色に濃いグリーンの縁どりをした表紙に、ひかえめな大きさのタイトルと著者名、そして小さな毛鉤のイラストがさりげなくあしらわれている。ぱらぱらとページを繰ると、釣りにまつわる短篇小説集であることがわかった。奥付には、著者名とニュージーランド南オタゴ出身、一九四五年生まれとだけ書いてある。白髪の店主に、この著者はどのような作家なのかと訊いてみたが、肩をすくめて知らないと応えるだけだった。安価なこともあり、旅の思い出として、私はその地味で飾り気のない本を買い求めた。

 日本に帰国後、仕事にかまけて、その本のことは忘れていた。そして一年ほどたった頃、寝室の片隅に積んだままになっていたその本がふと目にはいり、手にしてみた。そして、読んで胸に響くものを感じた。この本の著者の抱えている孤独と寂寥感のようなものに、私のこころが共振したのである。本の発行元にこの本の著者と連絡をとりたいと手紙を出したところ、一か月ほどたって返事がきた。その本を書いたジャック・オコーナー氏は、いまクライストチャーチの以下の住所にあるホスピスに入院している、というかんたんな文面だった。

半年後の正月休み、私はまたニュージーランドに向かった。一応、釣り竿は持参したが、今回の主な目的は彼に会うことだった。

 街はずれのホスピスは、おもっていたよりも清潔で小奇麗だった。個室の背もたれをすこし斜めに起こしたベッドに、ジャック・オコーナー氏は横たわっていた。肺がんを患い、痩せて、年齢よりも老けて見えた。しかし、事前に手紙を出していたせいか、彼はおだやかな笑顔で私を迎えてくれた。そして、ゆっくりと、噛みしめるように言葉をかわしてくれた。

 そのときに知ったのは、彼は長年、クライストチャーチにあるカンタベリー州立大学で英文学の教鞭をとっていたということ。家族とはずいぶん前に別れたこと。フライフィッシングを子どもの頃から趣味としてきたこと。『三つの水の物語』は、十年ほど前に出版した唯一の著書だということ。ちいさな出版社から小部数を出しただけなので、たいして評判にもならなかったことなどを枯れた声でたんたんと話してくれた。

私は、この本を読んで大いに共感するところがあったことを正直に述べた。彼は、日本人の私が、南半球のちいさな国の無名の人間が書いた小説に関心を寄せたことが不思議でならないようだった。とまどっているようにも見えた。

私は、日本には釣りの紀行文学はあるが、釣りの小説、とくにフライフィッシングのすぐれた小説はないのです。だから、できればこの本を日本語に翻訳して、日本の人々に広く読んでもらいたいのですと率直に申し入れると、意外なほどあっさりとそれを許してくれた。

自分は、もうすぐこの世から去るであろう。その後に、日本のどこかで私の書いた物語を読んで何らかのことをおもってくれる人がいるとしたら、それはそれで愉快なことだ。そのとき、私の魂は日本の空の上をさまよっているかもしれないよ。そう言って、彼はすこし笑った。

                                訳者


第1話「小屋」 


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フランス

先日、フランス大統領選があり、マクロン候補が勝利した。極右のルペン候補は敗れた。

結果的にはよかったとおもう。そもそもルペンが主張していたフランスのEUからの離脱はまちがっているのである。フランスはいままでどおり、ヨーロッパの一国でいいのである。島国の日本人の感覚からいうとわかりにくいかもしれないが、ヨーロッパは地つづきである。車で国を越えても、また同じ景色がつづいている。では、どうやって国境ができたのか。それは言葉である。訛りのちがうところから、そこに自然に国境線が生まれていった。昔、司馬遼太郎の「街道をいく」でそんな説を読んだおぼえがある。

新フランス大統領のマクロンも、Macronという姓をみると、あきらかに出自はスコットランドかアイルランドである。Macではじまる名前だから。現大統領のオランドという姓は、そのままオランダ人という意味である。つまり、ヨーロッパはひとつであり、ヨーロッパの国々は日本でいう県である。だから、EUという考え方は自然なのである。日本でいえば、今度の首相の先祖は岩手だ、山口だ、鹿児島だというようなものだ。たいしたことではない。

言葉だってそうだ。いまは、とくにIT時代では、英語が世界のスタンダードだが、そもそも英語という言語も、フランス語とドイツ語とゲール語をミックスして文法を合理化し、新しくつくられていったものだ。合理化された言語だから、世界中に伝播された。

ところでマクロン氏の奥方は、24歳年上のなかなか魅力的な女性だ。夫と3人の子どもがいた高校時代の国語教師だとか。そこを強引に口説いて、ふたりは結ばれた。これは典型的な、古典的なポルノ小説のパターンだ。「先生、ぼく、もう・・・」「いけません、そういうことは、だってあなたは、あぁ、だめ、そこは・・・」である。

私は、そういう恋愛至上主義のフランス文化を敬愛する。

つれづれなるままに

何が、ゴールデンウィークだ。こっちは、1年中、ゴールデンウィークだ。テレビのニュースで、高速道路の渋滞映像を見ながらビールを飲むのが趣味なんだ。てやんでい。

というわけで、私も黄金週間というのをだらだらと酔いどれて過ごしておりましたが、いつものように何の収穫もありませんでした。しいていえば、数年前にNHKーBSで録画しておいた「セントラルステーション」というブラジル映画を見ていたく感動したくらいでしょうか。すこし重い映画だとおもっていたので見ることをためらっていたのですが、これがすごかった。脚本も、演出も、映像も、役者も、すべて素晴らしかった。すべての人に見てほしいとおもう映画だった。数年に1度会えるかどうかという名画だった。オススメです。

あとは、ボルチモアの大学院に行っているGから「やっと音楽や芸術で何をやるべきかが見えてきた。それは未来の宗教みたいなものかもしれない」というメールをもらったこと。

もうひとつ、日清の「どん兵衛鴨だしそば」というカップ麺、これはよくできている。うまいです。(お湯を注いで、3分ではなく5分がいい)

舌の上の王国

深夜、グラスを傾けながら、記憶の王国にふらりと旅をする。つらつらと思いつくままに。あぁ、うまかったなという、舌の上の回顧禄です。

北海道では、やはり京極ふきだし荘のジンギスカン。ふるさとの味だから。あとは、弘前大勝寺の門前にあった屋台の津軽蕎麦、八戸の鮫駅近くにあった大洋食堂のイチゴ汁、山形のなんとかいうさびれた温泉の干しシイタケの出汁のきいたラーメン、東京では高橋(たかばし)いせきの泥鰌丸鍋(いまはダメになったが)、赤坂砂場のかき揚げ天もり、そして京都のすっぽん大市、たん義の鮒ずし、大分中津の肝で食べるフグ刺、沖縄石垣島定食屋のイカ墨汁。

海外では、香港の上海蟹、バンクーバーの中華街入り口にあった店のワンタンメン、ロスアンジェルスの創作レストランのナマズのから揚げ、ニューヨークはブルックリンのステーキハウスのTボーンステーキ、アカプルコ郊外の露店での激辛アホ・デ・ソパ(ニンニクスープ)、バルセロナのウナギ稚魚のオリーブ煮、リスボンの鶏の足の煮込み(もみじ)、フランスはリオン郊外で食べたフォアグラのソテー、ニュージーランドのブラッフオイスター。

生意気なグルメ噺をお許しください。弁解を許されるなら、これらはそんなに贅沢な体験談ではありません。きわめて個人的な体験であり、ただただ舌と胃の腑にきざまれたつよい思い出を記しただけです。

しかし食の記憶というのは、官能の記憶でもあり、生の記憶でもあると、つくづくおもうのであります。香港の砂肝入りの朝粥もうまかったなぁ。パクチーがぱらりと乗って。


英雄

弘前高校の4年先輩に、Oという男がいた。寡黙で、クラシックギターを弾くのが趣味。飲み屋で会うといつもくたくたの黒いスーツを着ていた。小柄だった。

彼の同学年だったマサに聞いたのだが、Oは父親が亡くなったとき、ベートーヴェンの
交響曲第3番「英雄」の第2楽章を部屋におかれた亡骸を前に大音量で流したそうである。

その後、クラシックギターを学びにスペインに行くといって、まわりの人々から餞別をもらい、それをすべて飲んでしまって、横浜の苦海に身を沈めた。典型的な津軽男であり、生まれてきてスミマセンである。その後、彼とは偶然飲み屋で会ったがスペインはたのしかったという話しかしなかった。しかし、スペイン語のビール、サルベッサという言葉も知らなかった。そこで、彼はスペインに行かなかったことを私は知った。

30年以上前であろうか。ふらりと弘前に行き、一番町にあるホテルに泊まり、上の階のバーのカウンターに座ると、目の前にOがいた。彼はもちろん私のことを知っているが、こちらに同行者がいたこともあり、ただ黙々と酒をサーブしてくれた。

いま、ベートーヴェンの「英雄」を久々に聴きながら、そんなことを思いだした。

生きる


クルマを運転したことはない。ゴルフをしたことがない。カラオケで歌ったこともない。

でも、素晴らしい女性たちと会った。たくさんの本に出会った。たくさんの旅をした。

十分ではないか。十全ではないか。でも、円はまだ閉じない。

無期懲役という、なかば幸せな人生を歩きつつ、たまに空を見上げてひとり笑う。

でも、もっと酒を飲みたい。もっと音楽を聴きたい。もっといい女と会いたい。

なぜ、人間はもっと生きたいとおもうのだろう。たとえ、寝たきりになっても。

本能だろうか。たぶん、そうだろう。汚泥の中に落とされても、生きものは生きたいのだ。

未練というのは、見れんなのか、未恋なのか。

宙吊りのまま、私は、きょうも生きている。


(先日、横浜の入院病棟で、そんなことをおもった)



今村は、なぜバカになったのか

一昨日、今村雅弘という復興相が「あの震災は、東北でよかった」と講演で語った。震災では1万8千人を超す死者・行方不明者を出し、6年後のいまも約7万人が仮設住宅での生活を強いられているのにである。テレビのニュースを見ながら耳を疑い、唖然とした。失言とか暴言以前であり、絶対に口にしてはいけないこどだというは子どもでもわかる。なぜ、ここまでヒドイ大臣が出てくるのだろう。安倍はなぜこういう男を復興相に任命したのだろう。

翌日の朝刊で、今村の経歴を見て、その謎がすんなり解けた。佐賀県出身、東大法学部卒、国鉄入社、政治家へ。ポイントは、東大法学部卒です。どのマスコミも書かないとおもうので、ここにはっきりと書きます。

東大法学部というのは、東大の中でも別格の最上級なのです。地方だと、その県の何年来の秀才NO・1です。理由は受験の難易度がいちばん高いから。そこに受かっただけで、役人の道であろうが、民間の道であろうが、将来のエリートコースは保証されるわけです。私もJRグループのキャンペーンを3年ほどやって、全国JR6社をプレゼンテーションで何度も訪ねました。会議室の真ん中でふんぞり返っているのが東大法学部OBです。10歳以上も年上の部下を「オイ、オマエ」呼ばわりです。そういう人間に何人も会いました。高校時代は受験勉強に明け暮れ、大学に入ってからも他者を蹴落とすための勉強漬けという青春なので、「人間とは」とか「人のこころとは」ということを学べないのでしょう。そして社会に出ると、東大法学部卒というだけで殿様あつかいです。出世街道まっしぐら。どんどんカンチガイした人間になっていくわけです。その典型が今村です。

20数年前に、私が気づいたことがあります。汚職、収賄などの事件で東大法学部OBの逮捕者がやたら多いのです。その数はあの武闘派でしられる国士舘大学OBの比ではありません。逮捕者の多い大学OBでは、東大法学部は日本一です。理由はかんたんです。権力をにぎっている人間のところには、甘い話ですり寄ってくる輩がどんどんきます。うまくやると、ものすごい金がかんたんに手に入ります。しかし腋があまいと、内部告発などで一発でアウトになります。私の知人も数年前、もちかけられたインサイダー取引の話に手をだして、それが内通され、某大企業の次期社長コースの座からいきなり失脚し、退社しました。

東大法学部があるかぎり、もちろん立派な人間も輩出するでしょうが、今村的人間をこれからも多く世に出すでしょう。


追従しない

「トーホグは、ツヨイんです」。「上々颱風」というバンドのメインボーカルをつとめてきた白崎映美の言葉である。私は30年ほど前から彼女の猛烈なファンだった。いまもときどき、CDを深夜に聴く。

30数年後の彼女である。先週、朝日新聞の夕刊で、彼女のその後を連載していた。美貌はそのままだが、「まずろわぬ人」、つまり、ある小説から「東北人はなにかに追従しない人」という言葉に目覚めたという。東北人は、もともと縄文人であり、蝦夷シと呼ばれ、日本の中央とはつねに反体制側にあり、差別されてきた。

白崎映美は東日本大震災で、もう一度、自分の立ち位置に目覚めたのだという。山形県酒田市出身の東北人としての自身に。「トーホグは、ツヨイんです」。子宮でものを考えるというよりも、毛深き恥骨でものを考える美しい女性だ。青森県弘前市に4年間暮らしたことのある私も、彼女の気持ちはなんとなくわかるし、激しく共鳴する。

いままた、「上々颱風」の『愛があるから大丈夫』を聴きながら、そんなことをおもった。