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国会証人喚問

しかし、役人というのは、けっきょくこういう人間なんだね。
 
でも、いまテレビをみながら、二浪して東大を出て経済省に入ったから、こういう役人になったんだなとおもった。そして財務省の役人に。上をめざすバカの最高コースを走って、近々逮捕。

それがいま、なにを怖れて、ちいさなネズミのようにびくびくしてるのだろう。組織のトップにいた責任はあるだろう。部下ひとりが、自死しているんだ。
 
もっと気楽にi生きればいいじゃん。東大出というのは、けっこうアアタマが悪いんだな。
私だったら、「じつは官邸からの命令で、部下に決済書の改ざんを指示しました」
「何年何月何日に、官邸の誰それから決算書を改ざんしろと命令がありました」
 とすべて話して、「これがすべてです!」というけどね。
引退して、東北の寒村で自給自足の生活をしてもいいじゃないか。

美意識の問題だ。

 


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そのとき


恋も、友人も、読書も、音楽も、旅も、すべてが「そのとき」にあったのだなと最近よくおもう。

人生はすれ違いだが、すれ違いだから人生なのだろう。

夜中にグラスを傾けながら本を読む、音楽を聴く、記憶の旅にでる。いつも、そうおもう。一瞬という一生。短くて長い旅。大きな石をいくつか踏みこえた気もするが。

そして、思い出す。「そのとき」に会った人々と景色を。私は、かなり人にめぐまれた
人生であったのだろう。

老いさらばえた頭でふり返ると、出会った人はみんな魅力的だった。おかげで、たのしかった。ありがとう、感謝多謝。

でも、もうちょっと生きます。


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東京

昨夜、酔っぱらった弘前のマサから電話があった。

来週、日本海側の真瀬川にサクラマスを釣りに行くという。仲間はオンブ、テル、ナカノといういつものメンバーだという。

こちらも酔っぱらっている、

「いいな」と私はいった。

「オマエほどよくないぞ」とマサはいった。

「いいや、オレのほうほど孤独だよ」

「だけど、東京だべ。都会だべ」

「いや、都会だから孤独があるんだ。ま、群衆の中のロビンソン・クルーソーかな」

「都会の方が、孤独が深いのかな」

「ま、そういうことでしょう。でも、孤独というのも悪くないよ」



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サンケイ


きのう、高校時代の友人Kと久しぶりに電話で話した。

彼はラグビー部のキャプテンで、一緒に泥にまみれて走った仲間だ。大学を出て、中学校の教師になり、校長をながく勤めた。

電話で話しているうちに、私が「アベのことだが」というと、彼は「アベさんは」という。私は変だなとおもい、「新聞は何をとっている」と訊くと、「昔は朝日とか東京新聞だったけど、いまは産経新聞だ」という。私のまわりで、産経新聞を読んでいる人間は皆無である。驚いた。極右の新聞である。

そこで、日本の戦争責任やヒットラーの戦争犯罪にについて、しばし話した。彼は「オレは農家に生まれた日本人だし、産経の論調が、いまの自分にいちばん納得がいくんだ」という。ケンカにはならなかった。

こういうマジメで実直な人間がサンケイを読み、日本をささえてきたのだなと思った。

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英雄とは


南米大陸にスペイン人が来たとき、先住民族のインディオは勇ましく戦った。そして、敗れた。北海道に和人が移り住んだとき、アイヌは争いの末に、土地を奪われた。180年ほど前にニユージーランドに英国人が上陸したとき、その1500年ほど前にポリネシアから移住してきたマオリの人々がいた。しかし闘いの末、土地をすべて譲ることに了承した。銃と槍の闘いである。平和裏に行われた略奪、ワイタンギ条約である。

世界中で、そういう争いが連綿とつづき、いまの地球の地図がつくられていった。

世界中の都市に英雄の像がある。馬に乗ったり、剣をふりかざしたり、胸を張ったりと立派なもんだ。そういうバカな英雄像を私もたくさん見た。

そして毎日、鳥たちはその英雄の像の頭にとまり、糞をする。英雄たちは白く汚れる。どんどん汚れる。

鳥は人間より自由だ。だって、空を飛べるんだから。

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相撲道

大阪場所がはじまった。35代横綱の双葉山のことは誰でも知っているであろう。いまだに破られていない69連勝をなしとげた大横綱である。

しかし、彼は引退後、相撲界からいっさい姿を消した。なぜか。じつは双葉山はジコウ尊という石川県金沢市にあった新興宗教に入れ込んだ。戦後すぐの1947年、ジコウ院が大量の闇米を隠しているということで警察が踏み込んだ。そこで、双葉山は大立ちまわりを演じ、逮捕された。

さて65代横綱の貴乃花、皆さん、彼の目をみて何かを感じませんか。彼はやはり、双葉山のように新興宗教にどっぷりはまっているらしい。イワシの頭も信心から。何を信じようが、それは本人の勝手だ。しかし、まわりは迷惑する。

なぜこれほどの大横綱が、ふたりとも宗教に走ったのか。それはたぶん「道」をきわめようとするからである。「求道者」。「ぐどうしゃ」と読むと、宗教者の場合になる。「きゅううどうしゃ」と読むと一般人のことになる。どちらも、道をきわめようということである。ツマラナイことである。

皆さん、「道をきわめよう」なんてヤボなことを考えると、頭がおかしくなりますよ。


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銀幕のスター


という言葉が昔はよくつかわれた。クラーク・ゲーブル、ハンフリー・ボガード、エリザベス・テイラー、マリリン・モンロー、ジェームズ・ディーン、グレース・ケリー・・・

ところで、皆さんはこの「銀幕」という言葉に不思議を感じたことがおありであろうか。映画館の座席に座って見るスクリーンはまっ白です。でも、誰も「白幕」のスターとは言わなかった。いわれるままに、「銀幕」とおもってきた。不思議ともおもわなかった。

私は25歳のころ、沖縄の石垣島で小さな映画館の映写技師をしていた頃がある。大きなリールのフィルムを映写機にかけて回しながら、2本のカーボン棒を接近させながらバチバチと発光させて影像をスクリーンに投影する。いまや、こんな方式のやり方でやっている映画館は日本中にないであろう。
熱でフイルムは切れる、カーボンの棒が燃えて距離が離れると光は消える。そのたびに客席から罵声がとんできた。こちらはそのたびに、灼熱の狭い映写室で応急処置に追われるのであった。ただ、その腹いせに、早く仕事を終えたくて、洋物ポルノ映画(ぞくにいう洋ピン)のときは途中のフィルムを1本抜く。2巻から4巻に飛ばすのである。これで20分早く終了。しかし客は誰も気がつかない。ただただヤラシイ場面が見たいだけなのである。

おっと、今回の話は「銀幕」であった。じつは映画館のスクリーンというのは客席から見ると白いが、ごく近くから見ると銀幕である。その銀幕スクリーンに小さな穴がぎっしりとあけられている。私はそれを石垣島の映画館で体験し、大いに驚いた。でも、こんなこと世間では常識なのかもしれないな。


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瀬口誠一

という優れたグラフィックデザイナーがいた。丸い顔で、いつもけらけらと笑っていた。私が1年半ほど前に頭に怪我をしたとき、いちばん心配してくれたひとだ。「それは大変だ。あした行くよ」「いや、もう退院だから」と言うと、「じゃあ退院祝いに飲もう」という。私が怪我で入院したことを知らせた唯一のひとである。2歳上。

その2か月後、「すい臓がんだってさ」。病院で言われたという。来週、抗癌剤を打つというので、その前日、渋谷で飲んだ。それが彼の最後の酒になった。お互いに好きなボクシングの話に終始した。翌日の抗癌剤はめちゃくちゃきつかったらしい。2度とやらないと言った。その5か月後、彼はあっさりと逝った。

死の3週間前、見舞いにいった彼はベッドでいつものようにけらけらと笑っていなかった。丸い顔はちいさくなっっていた。

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鹿


小学校の終りころであろうか。Tという友人がいた。相撲のライバルだった。じゃがいも農家の息子だった。体はあまり大きくないが、力はつよかった。学校まで4キロ近い距離を毎日雪のなかをセーター1枚で通ってきた。

始業式の日である。そのTが姿を見せなかった。翌日、登校したTに訊いた。「きのう、どうしたんだ」。Tは言った。「家を出てしばらくすると、鹿がいたんだ。あとをつけていくと、裏山に向かっていったんだ。だから、オレもそっちに行った。何時間か歩いたら、鹿はいなくて、雪山にオレひとりだった。

北海道の子ども時代の小さな記憶である。なぜか、最近よく思い出す。

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そだね~


日本のカーリング女子の選手同士がかけあう「そだね~」という北海道弁が話題になっている。もう今年の流行語大賞候補だとか。「そだね~」という言葉は、ゆるやかでポジティブな感じがいいですね。

私も北海道育ちだが、意識しないうちに「そだね~」と言っていたような気がする。しかし、自分の発する言葉というのは意外と意思下にあってわからないものである。昔、友人と話していて、吉幾三の言う「・・・てかっ!」というのが面白いよなというと、ワタナベさんもよくいいますよという。「いや、オレはそういう言葉はつかったことがない」と言った。「オレはもう東京人だもの、てかっ!」。「ほらッ、いま言った」と言われるまで、わからなかった。

北海道弁では他にも「いんでないかい(良い)」とか「なまら(すごく)」とか「しばれるね(凍えるね)」とかいろいろある。

だけんど、お国訛りというのは、いんでないかい。

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先日、平昌オリンピックのスケート女子500メートル競技で小平奈緒選手が金メダルをとった。

会場が大歓声につつまれたとき、彼女は口に指をあて観客に「シーッ」と静粛をうながした。次に走る韓国代表のイ・サンファ選手のことを気づかってのことだった。結果は小平選手が1位、イ選手が2位。泣きくずれそうになるイ選手を抱きかかえ、小平選手はやさしく声をかけた。そして、お互いに国旗をかかえてリンクをゆっくりと回った。私は泣いた。

翌日は大忙しである。このスケート女子500メートルを取りあげているテレビ番組をあまねくザッピングし、この女子選手ふたりが出ているシーンを見るたびに涙をおとした。1日中である。目はあかくなり、腫れた。そして小平選手がイ選手を抱きかかけている新聞の写真を切り抜き、壁に貼った。こんなことをしたのは、2011年のドイツ大会で、女子サッカーのチームなでしこが優勝したとき以来だ(このときの新聞1面のアディダスの広告はいまも壁に貼ってある)。

そうしてここ数日泣きくれていたのだが、昨日から何だか異質な涙がじわっときた。花粉症の到来である。あわてて病院に行き、飲み薬、点眼薬、点鼻薬をたっぷりと処方してもらった。この涙に、いっさいの感動はない。


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あぁ、無常

冬季オリンピックを見ていて、こんなにおもしろいなら毎年やればいいとおもった。

しかし、4年に1回だからイイんだね。でも、テレビを見ていておもった。黒人の選手がほとんどいない。というのはどういうことなのだろう。夏のオリンピックでも黒人の水泳選手は見たことがない。身体能力の高い黒人選手がそこにいないのはなぜなのだろう。そういうスポーツをする機会をあたえられていないということだろうか。最初から、はじきとばされているのだろうか。

差別というのは、あたりまえになったら、いちばんいけない。



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スポーツ解説


毎日、一日中、グラスを片手に平昌オリンピックをテレビで楽しんでおります。

そして、いちばん驚いたのはスノーボード、モービル、スノーボード・ハーフパイプを担当したテレビ解説者。もともとスノーボードの選手だったらしいが、このひとがイイんだ。名前は知らない。30代前半だとおもう。たんたんと「あ、イイですね」「カッコイイですね」「シブイですね」「オシャレですね」と言う。きわめて自然な言葉で生放送の解説をする。声も張りあげない。

なんだか新鮮だった。いままでのスポーツ解説でこんなカジュアルな言葉を聴いたことがない。たしかに、スノーボード・ハーフパイプで選手がボードと一緒にぐるぐると氷壁の上を舞う姿を見ると、「カッコイイ」とおもう。そうなんだ、彼らはどれだけカッコイイかを競っているんだ。お互いに、「おまえ、カッコイイじゃん!」と日々闘っているんだ。そういう競技なんだ。ラップのミュージシャンに近いかもしれない。

だから、「カッコイイですね」と解説する言葉はとても素直にこころに届くのである。
このひとは、今後の日本のスポーツ解説を変えたのかもしれない。


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こんなことがあるのか

きょうの朝日新聞の朝刊、29面を見て驚いた。「おやじのせなか」という連載に身近のGの顔写真がドンとでていた。「エッ!」と声がでそうになった

でもいま、Gはアメリカの東海岸にあるボルチモアの大学院にいる。こりゃ何だ!

紙面をよく見ると、名前は片桐仁というタレントだそうです。私は、まったく知らない。100%同じ顔。一卵性双生児です。メガネまで同じだ。しかし、1973年生まれとある。Gは1996年生まれだから、これはちがう。何かのまちがいだ。

しかし、こんなことがあるのか。完璧に同じ顔がこの地球上に存在するということが。

P・S  5時間後、Kから「そんなに似てないよ。Gの方が、もっと知的だよ」というメールがありました。

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北海道

きのうの夕刊、小説家池澤夏樹の「終わりと始まり」という新聞定期エッセイを読んだ。

今年は、北海道という行政地名が制定されて150年になるという。蝦夷という大きな島を探検した松浦武四郎という探検家が「北海道」と命名したのは私でも知っている。彼はつねにアイヌの側に立っていた。それで行政側と対決し、以後2度と北海道の地に立っていない。

私が驚いたのは、池澤の次の記である。「第2次大戦の末期、沖縄では3か月に亘る戦闘で20万人以上が亡くなった。その大半が沖縄の民間人だったが、他の地域から送り込まれた中でもっとも多くの死者を出したのが北海道人だった。1万800余名だったという。早い話が、北海道人の命は安かったということらしい」。北海道に生まれ、ギリシャや沖縄に住み、いままた北海道に住む池澤がそう書いている。

私の父も戦時中、小樽の病院に勤めていた。旭川の軍部に徴用をかけられて駆けつけたが体力がなく、軍医として使いものにならないと追い返されたらしい。匍匐前進ができなかったらしい。「みんなから餞別をもらって、また帰ってきて恥ずかしかったな」と言っていた。父の兄は体力があったらしく、軍医として中国戦線からビルマに渡り、あの白骨街道とよばれたインパール作戦に参戦し、そこから生還した。

父にもし体力があったなら、南の島で戦死していたであろう。では、私の存在は・・・


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