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フリーざんす


先日、コピーライターの日暮真三さんのブログを拝見していたら、フリーランスというのも大変だよという話が書かれていた。あの黒澤明だって3年間、映画を撮らせてもらえなくて、「本当につらかった」といっていたそうである。http://blog.livedoor.jp/beermywitch/archives/74033472.html

私も、一生をフリーランスで生きてきた。運だけで生きてきた。勤め人をしたこともない。28歳の頃に、ふらふらっと、いまの仕事にはいった。けっこう実入りがいいのでつづけた。遊ぶ金欲しさにそのままつづけてきた。女子高校生売春みたいなものである。流れながれて生きてきたので、年金ももらえない。ま、年金を払ったこともないので、それはそれで仕方ないでしょう。

私も80年代の後半に、食えない時代があった。サントリー缶ビールなどの派手な仕事をしていたが、それが終わると、いきなり1年半仕事がスパッとなくなった。その頃、私は結婚していきなり犬3匹、猫2匹と一緒に棲むことになった。最初の頃は預金を切りくずしてやっていたが、情けないなという気分になってきた。金がなくなると、ペットフードも安いものに手がのびるのである。

その頃、先輩コピーライターの長沢岳夫さんがその窮状をそれとなく察して「税金対策だからサ」といって私の口座に200万円を振り込んでくれた。それで、私はなんとか生きのびた。一生の恩人である。いまも会うと辛辣な言葉をかわす仲だけれど、いつも内心はスミマセンとおもっている。

そういう絶壁状態のときにJALと日新カップヌードルの競合プレゼンの仕事がきて、どちらも勝った。私は、生きかえった。「只今、JALで移動中。」と「ちからこぶる。」である。

今年も10カ月ほど仕事がなかったが、ここのとところいきなり忙しくなってきた。これがフリーランスという生き方である。

人生は、明るい絶壁の上にある。


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ボクサー

昨夜、世田谷の羽根木での打ちあわせが終わり、東横線の祐天寺で降りてなじみの居酒屋に寄った。

ビール、ハイサワーと飲みながら、焼きトンと名物の豚尾(トンビ)豆腐をいただく。ナガラミもいただいた。

満席の店内でヘアバンドをして忙しく立ち働いている男がいた。見覚えがある。20年ほど前の深夜に、ボクシング中継で見た男だ。たしかフライ級かジュニアフライ級の日本選手権だったとおもう。腰を落として、ロングフックを激しく撃っていた。その試合は負けたとおもうが、面構えがよかった。

その彼がいた。最後にカウンターを片づけにきた彼に、「キミはいいボクサーだったよ」と私はささやいた。彼は聞こえないふりをした。

勘定をして店を出て10メートルほど歩いたころだろうか。後ろから足音がしてふり返ると、彼がいた。「きょうはありがとうございます」といいながら、私の右手を両手でつよく握りしめて、「ありがとうございます」とくり返した。まっすぐな目線だった。

自身の青春の一瞬の輝きを見ていた男がいたことに、彼は驚いたのであろう。


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忘年会


昨夜は、ハンドメイドのフライ竿をつくっている茗荷谷のマッキーさんの工房での忘年会があった。もう40年近く続いているが、ずっと同じ顔ぶれの30人ほど。もとは裏銀座の新富町。

去年の同じ忘年会の前日、私は朝方に酔って転んでアスファルトに頭をうちつけて卒倒した。その後、頭蓋骨に穴を開けて血を出して、脳内を洗浄することになった。あれから、もう1年。おもえば、遠くへ来たもんだ。

40年もたったら、みんな歳をとる。昨日も還暦祝いの赤い釣りベストを進呈された男がふたりいた。秘密結社の赤いちゃんちゃんこ。

さて、ぐるりと場をみわたすと、いつもの顔ながら名前も素性もしらない。皆さん、ただただ大いに笑いながら酔っぱらっているだけである。社会的地位なんて、もちろん知らない。お互いの名前を語らずに、たのしく会話はすすむ。理想的な集まりではないか。

これを私は自分のなかで、日本のKKKと名づけた。あの悪名高きクー・クラックス・クランではない。くだらなくて、きどらなくて、きもちいい、のKKK。

すばらしい飲み会でした。

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手負いの熊

10月半ばに酔って転んで、左上腕部に亀裂骨折を負った。めちゃくちゃ痛い日々で、気分は大いに滅入った。寝返りも打てない。ベッドから降りるのに15分ほどかかるほどだった。足にちからを入れても左腕に激痛が走るのである。トイレに行くのも大変だったので、ベッドの上で横になったまま洗面器に小便をするほどだった。情けない。障害者や戦傷兵のことをおもった。しかし、それはすべて自業自得なのである。

食事もつくれないので、ずっとレトルト食品かスーパーのパック寿司だった。これも虚しい。いいかげん飽きてくる。だから、飲むしかない。虚しさは、つのるばかりである。

シャツ1枚着替えるのでも、「アーーーッ!」と声が出るほどの激痛である。だから1週間、同じ服を着たまま。シャワーも1週間にいちど。でも、やっと風呂に入れるようになった。

いまは西行の心境か。「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ」

いずれにしても薄皮を剥ぐように、すこしずつ痛みがうすれてきた。きょうの夕方、入浴後にずいぶんと痛みが消えたことに気づいた。もう大丈夫だとおもう。

病院で最初に、「治るまで2か月かかります」といわれたが、それは正しい診断だった。私は病院嫌いなのでその後行ってないが、正しい診断だった。ただただ手負いの熊のように、傷が治るのを待っていた。骨がくっつくのを待っていた。

明日から、久々に新しい仕事の打ち合わせがはじまる。何ごともなかったように、私はそこに参加しようとおもう。

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今回の大相撲騒動

日馬富士は〇、貴ノ岩は×、貴乃花は×××。貴乃花は10年以上前から頭が狂っています。ま、彼はひとり新興宗教ですね。リベラル派らしいけれど、大相撲は古風でいいのです。古いから、いいのです。引退すべきは貴乃花です。


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アイリッシュ・ビートルズ

もう30年ほど前に何かで読んだ記憶で書くので、細部の正確度はおぼつかない。

なぜ1960年代、イギリスのリバプールでビートルズというあれほど世界中にショックをあたえるロックバンドがとつぜん生まれたのか。

それは、リバプールというイギリス北西部に位置する港町の土地柄にあったようだ。リバプールのすぐ西側にはアイルランド島があり、その島は19世紀初めにはイギリスに併合され、19世紀半ばには主食とするじゃがいもが絶滅して大飢饉が起こるという悲惨な時期がつづいた。そして、800万人余の人口のうち約400万人がイギリスやアメリカに移住するという事態になった。

そのとき、アイルランドから白人奴隷として多くの人々が移り住んだのがいちばん近いリバプール港だった。生活ぶりはきわめては厳しかったが、アイルランド人には精霊の物語を受け継ぐ精神と音楽のメロディを愛する伝統があった。同じ頃、アフリカから黒人奴隷がリバプールに次からつぎに送りこまれてきた。彼らは地元の伝統的なリズムをはこんできた。つまり、アイルランドのメロディとアフリカのリズムがリバプールで出会ったのである。それが、いわゆるリバプールサウンドである。

そういう土壌で、ビートルズの4人はラジオでエルヴィス・プレスリーを聴いた。ショックをうけた。エルヴィスは白人なのに黒人のように歌った。白人のトラック運転手が腰を振りながら歌った。白いブルースだった。それに衝撃をうけたリバプールの若者たちはツァラトウストラの啓示をうけた。俺たちも、こういうカッコイイ、ノリのいいロックンロールをやろうぜ! 自然発生的に、あるいは必然的にビートルズは生まれた。

ちなみに、ビートルズのジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソンはアイリッシュ移民の子孫、リンゴ・スターは労働者階級のイングリッシュだそうである。

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深夜にラジオを聴いていると、シューベルトの〝鱒″が流れてきた。開高さんはこの曲が好きだった。

スコットランドの旅の車中で、こういう会話があった。

「私は、あの曲を聴くとね、こんなことを思って切なくなるのよ。つまり、年老いた音楽教授がね、年若い女学生に恋をするんだ。その女学生は、まるで清い水の中を美しい裸身で泳ぐ鱒なんだ。老教授は狂おしいほどの気持ちでその姿に恋をする。しかしある日、その若い娘の前にハンサムな青年があらわれて彼らは結ばれる。あっさりと釣られてしまうのよ。老教授は、とうぜんのこととは知りながら絶望する。悲嘆する。明るい曲想だけれど悲しい曲なのよ。ま、これはいち小説家の妄想ですけどね」

「開高さんは、誰のピアノによる〝鱒″がお好きですか」「うーん、・・・・!」。翌朝、答えがあった。「ゼルキンやな」。私は答えた。「ゼルキンはいいですね。でもぼくは、ブレンデルです」

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ときどきの、こころのくぼみ


「カッコイイって、カッコワルイんじゃないの。」

というコピーを大昔、サントリー缶ビールのペンギンのボディコピーで書いたことがある。いまおもいだしても、そうおもう。カッコイイって、カッコワルイんだ。そして逆に、カッコワルイって、カッコイイという例もある。蛭子能和みたいに。その昔なら、
たこ八郎みたいに。

私も、どんどんカッコワルイ老人にむかっている。外出するときは、いつ転んで倒れてもいいように、最近はフェルトの帽子をかぶっている。できればヘルメットをかぶりたいくらいだが、それは見た目にすこし異様であろうからひかえている。手の甲にはあばたがうかび、考え方はかなり偏屈になっている。老いの自覚は大いにある。

私がこうありたいとおもう晩年を迎えたカッコイイ男たちは、だいたいが昔の文人たちである。夏目漱石、芥川龍之介、正岡子規、幸田露伴、永井荷風、井伏鱒二、小林秀雄、北杜夫、吉行淳之介、吉村昭、開高健、野坂昭如などである。

しかし私は彼らのようにカッコイイ晩年を迎えられそうもないので、明日にでもコロリと死にたい。彼らのようにちゃんと生きたわけでもない。てきとうに、でもずるくはなく、生きてきたつもりだ。

サヨナラだけが 人生だ。

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深夜の音楽


作曲家は創造主であり、指揮者は救世主であるかもしれない。つまり、神と伝道師のような関係なのかもしれない。

バッハやモーツァルトやベートーヴェンやブラームスは、誰もが聴いたことのない美しい音楽を創った。チャイコフスキーやワグナーやマーラーもそうでしょう。

そして、フルトヴェングラーやトスカニーニやクライバー、カラヤン、オザワがその楽譜を真剣に解釈して指揮して演奏した。そこに、ときどき奇跡のようなときがうまれた。歴史に残る名演奏である。

それをふくめて、私はそういうCDを日々聴いている。恵まれているとおもう。いうならば、ただしく翻訳された聖書を読んでいるようなものだ

いま、ベートーヴェンの交響曲第1番を古楽器によるジョン・エリオット・ガーディナー指揮で深夜に聴きながらそうおもった。

深夜というのは、深く甘美な夜の底である。


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障がい

転んで、左腕を亀裂骨折してほぼ1カ月になる。もう三角巾はいらないが、腕を動かすとまだ痛みがはしる。気が滅入る。

ケガをしてわかったのだが、腕が一本使えないだけで、生活がいかに大変かということである。皿1枚、グラス1個洗うだけでどれだけ難儀か。シャツ1枚着替えることがいかに大変か。いままで普通にやってきたことが、普通にできないのである。当初は、ベッドから降りるのに15分を要した。

そうして、やっと知った。障がい者の人々の苦しみを。世界にはそういう苦しみをかかえている人々があふれている。それは肉体だけではなく、精神の障がいをふくめてだが。私たちが当たり前に行ってきた健常者といわれる暮らしは、ある意味で奇跡的な幸運の上になりたっているのである。私の場合は大したケガではないが、それを実感した。

生きることはつらいことだが、ありがたいことなのかもしれない。
ありがたいは、有り難いと書く。


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アルチューのランボー


昨日、ボルティモアのGとスカイプで久々に話をした。私が話の途中でメールで詞を送り、アルチューのランボーだからこんな詞を書いたんだ。曲をつけてくれないかと訊くと、それは他の人に頼んでほしいといわれた。いま彼が挑んでいる現代音楽とは、あまりにも次元がちがうらしい。

そのとき私が、若い頃に3年ほど日本と海外を放浪していたとき唯一持ち歩いていた本がアルチュール・ランボーの詩集なんだといった。ランボーを知っているだろうと訊くと、いや知らないという。えっと驚いて、寝室から1967年発行三笠書房の箱入り小型版の本を探し出してきて見せた。箱の表は日本語だけだが、箱の裏にはRimbaudと大きく書かれている。Gはそれを見て、あぁ知ってる、友だちのルーカスが大好きだよといった。

ちなみにGは、最近読んだ小説ではカズオ・イシグロの「わたしを離なさいで」がいちばんだよと3年ほど前にいっていた。

先週、酔ってつくった詞を以下に。曲をつけてくれる人がいたらうれしいな。


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「カラン コロン」


きょうも起きたら 片手にグラス

カラン コロンと氷が歌う

カラン コロンとこころがとける

窓の外には 雨が降る

わたしの胸にも 雨が降る

想いは グラスの縁にある

記憶は グラスの底にある

憂いは グラスの外にある

きょうも きのうと おなじ空

あしたも たぶん おなじ空

ときは流れる グラスのなかで

カラン コロンと氷が歌う

カラン コロンとこころがとける




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セ・ラヴィ


「これが人世さ」というフランス語である。「セ・ラヴィ(C'est la vie)」。NZの釣り友達、大工のウィリーがよく口にしていた。釣れなかった日など、よくこの言葉をつかっていた。どこでその言葉を覚えたと訊くと、本好きの女房に教えてもらったと笑っていた。

最近、私も「セ・ラヴィ」とつぶやくことが多くなった。まずい蕎麦屋に当たったとき、転んでケガをしたとき、懐具合がわるくなったとき、「セ・ラヴィ」と一人ごちるしかないのである。

「セ・ラヴィ」というフランス語はおおむね「ま、こんなもんさ」「しかたないさ」という意味でつかわれることが多いようだが、たまにはポジティブに「人生も悪くないぜ!」「これぞ人生だ!」というつかわれ方もあるようだ。

私の哀れな余生に、またポジティブな「セ・ラヴィ!」という一瞬は来るのだろうか。

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左腕を吊りながら


中学校1年のとき、シートン動物記を夢中になって読みふけった。
なかでも記憶に残っているのは、「狼王ロボ」である。

ロボはハンターに銃撃され、大ケガを負う。そして山の岩穴で食事もとらず、傷口をなめながら、ただひたすらに傷の癒えと体力の回復を待つ。そんな物語だったと記憶している。いまの私は、そういう状態である、

生き物は、こころとからだに傷を負いながら生きていく。

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友よ


今夜も、高校時代の友人Tから電話があった。月に1度くらいの電話である。「元気だか?」それだけである。「なんとか元気だよ」と応えると、「あぁ、よかった」と言って電話を切る。

彼はすこし精神を病んでいる。大学時代から入退院を何度も繰り返している。しかしいまも書道に励み、囲碁道場に足しげく通っている。私は彼のような無垢な人間を知らない。

彼は人を疑うことを知らない。誰と会っても、やわらかく笑っているだけである。

その清らかな人生に幸あれ。


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好きな映画5本


● ゴッドファーザー

● 羊たちの沈黙

● タクシードライバー

● ベニスに死す

● スモーク

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