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今村は、なぜバカになったのか

一昨日、今村雅弘という復興相が「あの震災は、東北でよかった」と講演で語った。震災では1万8千人を超す死者・行方不明者を出し、6年後のいまも約7万人が仮設住宅での生活を強いられているのにである。テレビのニュースを見ながら耳を疑い、唖然とした。失言とか暴言以前であり、絶対に口にしてはいけないこどだというは子どもでもわかる。なぜ、ここまでヒドイ大臣が出てくるのだろう。安倍はなぜこういう男を復興相に任命したのだろう。

翌日の朝刊で、今村の経歴を見て、その謎がすんなり解けた。佐賀県出身、東大法学部卒、国鉄入社、政治家へ。ポイントは、東大法学部卒です。どのマスコミも書かないとおもうので、ここにはっきりと書きます。

東大法学部というのは、東大の中でも別格の最上級なのです。地方だと、その県の何年来の秀才NO・1です。理由は受験の難易度がいちばん高いから。そこに受かっただけで、役人の道であろうが、民間の道であろうが、将来のエリートコースは保証されるわけです。私もJRグループのキャンペーンを3年ほどやって、全国JR6社をプレゼンテーションで何度も訪ねました。会議室の真ん中でふんぞり返っているのが東大法学部OBです。10歳以上も年上の部下を「オイ、オマエ」呼ばわりです。そういう人間に何人も会いました。高校時代は受験勉強に明け暮れ、大学に入ってからも他者を蹴落とすための勉強漬けという青春なので、「人間とは」とか「人のこころとは」ということを学べないのでしょう。そして社会に出ると、東大法学部卒というだけで殿様あつかいです。出世街道まっしぐら。どんどんカンチガイした人間になっていくわけです。その典型が今村です。

20数年前に、私が気づいたことがあります。汚職、収賄などの事件で東大法学部OBの逮捕者がやたら多いのです。その数はあの武闘派でしられる国士舘大学OBの比ではありません。逮捕者の多い大学OBでは、東大法学部は日本一です。理由はかんたんです。権力をにぎっている人間のところには、甘い話ですり寄ってくる輩がどんどんきます。うまくやると、ものすごい金がかんたんに手に入ります。しかし腋があまいと、内部告発などで一発でアウトになります。私の知人も数年前、もちかけられたインサイダー取引の話に手をだして、それが内通され、某大企業の次期社長コースの座からいきなり失脚し、退社しました。

東大法学部があるかぎり、もちろん立派な人間も輩出するでしょうが、今村的人間をこれからも多く世に出すでしょう。


追従しない

「トーホグは、ツヨイんです」。「上々颱風」というバンドのメインボーカルをつとめてきた白崎映美の言葉である。私は30年ほど前から彼女の猛烈なファンだった。いまもときどき、CDを深夜に聴く。

30数年後の彼女である。先週、朝日新聞の夕刊で、彼女のその後を連載していた。美貌はそのままだが、「まずろわぬ人」、つまり、ある小説から「東北人はなにかに追従しない人」という言葉に目覚めたという。東北人は、もともと縄文人であり、蝦夷シと呼ばれ、日本の中央とはつねに反体制側にあり、差別されてきた。

白崎映美は東日本大震災で、もう一度、自分の立ち位置に目覚めたのだという。山形県酒田市出身の東北人としての自身に。「トーホグは、ツヨイんです」。子宮でものを考えるというよりも、毛深き恥骨でものを考える美しい女性だ。青森県弘前市に4年間暮らしたことのある私も、彼女の気持ちはなんとなくわかるし、激しく共鳴する。

いままた、「上々颱風」の『愛があるから大丈夫』を聴きながら、そんなことをおもった。

完治

きょう、頭の手術を受けた横浜の病院に再々検査にいった。CTスキャンを撮り、そのモニター画像を見ながら、私の頭にドリルで穴をあけた30代後半とおもわれる執刀医はいった。「もう薬の服用も、検査の必要もありません。完治しました」

たしかにモニター画像には、頭蓋骨と脳のあいだにあった血液の影はいっさいなく、きれいなものだった。まるで宇宙にうかぶ土星のように、頭蓋骨の内側に脳がたゆたっていた。

私は悪運がつよいのであろう。今回も、まわりの人々に心配をかけ、世話になり、助けてもらった。生かされて、すみませんという気持ちである。

でも、この度はさすがに私も反省した。そして、実感した。生きるということは、かくじつに死に向かって歩をすすめることだと。咲いたものは散ってゆく。それは、この世でもっとも公平な摂理であると。

日本人がことさらに桜を愛でるのも、そんな死生観が根底にあるのではないでしょうか。


道を説く

「やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君 」

与謝野晶子のこの詩を私はことあるごとにおもいだす。新聞を読んでいて、テレビを見ていて、道を歩いていて、いままで何千回おもいだしたことであろうか。とくに、後半の「さびしからずや 道を説く君 」のくだりを。先ほども、下町に住む友人Sと電話で話していておもいだした。

Sがいうには、倉本聰の鳴り物入りのテレビドラマがはじまったので女房と見たのだが、ほんとうにくだらないんだよね。そう思うこっちが、まちがっているんだろうか。

私は答えた。そりゃあそうだよ。倉本聰はどこかでかん違いした人間だよ。人生とは何か。人の生き方とは何か。地球の環境問題とは何か。そういうことをマジで話したり、書いたりする人間だよ。まともな人間なら、恥かしくてできないでしょう。でも、そういう人間だから、「北の国から」みたいな人間「臭い」ドラマを書けたのでしょう。

もう20数年ほど前であろうか。私は北海道に仕事で行ったおり、後輩のYが倉本聰の「富良野塾」に入っていたので、3人ほどで一升瓶を2本ほどもって訪ねた。富良野郊外の山深い森にその塾はあった。そこの集会場でYと我われは酒杯を重ねたのだが、そこで目にした光景はすこし変わったものだった。純粋な、透きとおった眼をした青年たちが行きかっているのだが、私には彼らが自分の意志以上のものに自分自身をゆだねているように見えた。つまり、オウムのサティアン的なものを感じた。

それ以降、私は倉本聰の立派な人生観みたいなものを見聞するたびに違和感を感じるようになった。

「やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君 」

「サラダ記念日」俵万智の、与謝野晶子「みだれ髪」の解釈はこうである。

「燃える肌を抱くこともなく 人生を語り続けて寂しくないの」


看護婦さん

先日、頭をやられて横浜の脳神経外科病院に入院したときのことである。

手術に立ち会ってくれた看護婦さんが、めちゃくちゃ可愛かった。最初、病室に入ってきたときに「エッ!」とおもった。身長155センチくらいの笑顔の天使。しかし、いまの看護婦さんはあの白い帽子をかぶっていないし、スカート姿でもない。ポニーテールで、濃い紫色のVネックの上着に白いパンツである。

「あと2時間後に手術です。パジャマからこれに着替えてください。下は、ふんどしです」という。そして、血圧を計られた。「あらッ、かなり高いですね」。私は答えた。「あなたが計っているからですよ。ふふッ」。彼女はうっすら恥かしそうに言った。
「よくいうワ」。これも、セクハラだろうか。

手術が終わって、3階から5階の病室にベッドに横たわったまま搬送された。そのとき、もうひとり先輩の看護婦さんが付き添ったのだが、先輩が後輩の彼女にいった。「あなた、ほんとキレイで可愛い顔をしているね」。変わった会話だな、とおもった。それは、私が言いたかったセリフだ。

その可愛い看護婦さんは去年、愛媛から出てきた24歳。私は「ときどき5階のこの部屋にきて」といった。しかし彼女は「それはできないんです。私は3階の勤務なので、できないんです。渡辺さんが3階にきてくださいよ」。しかし、それでは、ストーカー行為ではないか。それでも、その後、1回だけ3階にストーカーいたしました。

でも脳神経外科の病室というのは、みんな頭をやられて、「武器よさらば」とか「西部戦線異常なし」の野戦病院状態ですからね。許してください。


ポーカー・フェイス

アメリカのラスヴェガス、ホテルのカードテーブルで、3人の男とポーカーをしていた。ひとりは白人、ひとりは中東系、そして東洋人の男と私で4人。みなタクシード姿であり、自信ありげにほほ笑んでいる。カードの半分には、各国首脳陣の顔が描かれている。

私に最初に配られたカードには、アベ、イナダ、トランプ、があった。その時点で、勝ったとおもった。馬鹿のスリーカードである。私は手札を見ながら、ほくそえんだ。しかし正面に座ったMr・コウと名のる東洋人の男はカードを見ながら、あくまでも幸せそうな柔らかな顔でブルゴーニュの赤ワインをゆったりと傾けている。この時点で、私たちの左右の太りぎみの男たちはやや浮かない顔でバーボンのオンザ・ロックスを飲んでいる。私は内心笑いながらも、あくまでもポーカー・フェイスをよそおった。

さて、その次のカードが配られた。私にはスペードのエース、シリアのアサドがきた。アベ、イナダ、トランプ、アサドである。最強である。そして、最後の1枚はフランスのルペン大統領候補だった。世界を代表する馬鹿ども5人。私はバーテンダーを呼び、スカイ島のスコッチ、タリスカーのストレートをもう一杯注文した。そのとき、4人のあいだではブラフのかけあいで、賭け金は10万ドルまで引きあがっていた。日本円で1000万円くらいか。テーブルの下で、足にちょっとチカラがはいった。

そして、ドン! それぞれのカードの御開帳である。左右の客は撃沈。私は自信たっぷりにカードをならべた。何しろ、世界最悪の馬鹿5人である。でもその後、正面のMr・コウは私よりも余裕たっぷりにカードをテーブルにならべた。そこには、アベ、イナダ、トランプ、アサド、そしてキム・ジョンウンのカードがずらりとならんでいた。ロイヤル・ストレート・フラッシュである。

負けた。完璧に負けた。でも、なぜか清々しかった。そこで、目が覚めた。

今朝、そんな夢を見た。


そもそも

いま、ニューヨーク市の酒場で煙草を吸える店は1軒もないはずだ。煙草を吸いたくなった客は外に出て吸う。そこに灰皿は置いてなく、携帯灰皿という文化をもっていない彼らは吸い殻を何のためらいもなく路上に捨てる。それは清掃人の箒で、あるいは雨に流されて排水溝に落ちていき、地下水道の籠に溜まる。それを週に1度ほどくるバキュームカーが太いパイプを排水溝におろして、他のゴミとともに大音量で吸い取る。私は10年ほど前の朝、そういう光景をホテルの窓から見ていた。アメリカ中がいま、そういう状況になっているようだ。東京も、2020年のオリンピックに向かって、そういう「先進国並み」の禁煙都市をめざしているようだ。

しかし、最近の米国ミステリーを読んでいて例外のあることを知った。アメリカのあちこちの田舎には煙草を吸い放題の酒場があるというのだ。インディアン居留区(Indian reservation)、その地域にある酒場ではいまも煙草は吸い放題なのだという。なぜなら、煙草は彼らアメリカ先住民の「そもそも」の文化なのだから。1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、彼らはそこにあった煙草と梅毒をヨーロッパに持って帰って広めた。つまり煙草を吸うという文化はヨーロッパ人がアメリカに来るまえからあったものであり、あとから来た者がツベコベいうことではないということだ。ネイティブアメリカンに煙草を吸ってはいけないというのは、大昔から日本人が食べていた鯨を食べるなというのと同じ西洋人の身勝手な理屈と同じだ。

トランプ大統領は大の嫌煙家であり、いま公共の場で煙草を吸ったすべての人間を禁固
1か月以上、あるいは1000ドル以下の罰に処するという大統領令を用意しているらしい。それに対抗して、全米ネイティブアメリカン人権同盟は以下のような指令を地下ネットに流したという。

金髪の、奇妙な髪形の、人種差別主義者の、女性差別主義者の、同性愛差別主義者の、白人優位主義者の、ピンク色の肌をした70歳くらいの大柄なドナルドという名前の男を見つけたら、ただちに拉致して全裸にし、彼のクチとケツの穴に火のついた煙草を数10本突っこみ、自由の女神像から逆さ吊りにしてよろしい。

もうひとつ、トランプ大統領は1月24日、ダコタ・アクセス・パイプライン(DAPL)の工事を進め、カナダのアルバータ州からアメリカのネブラスカ州までの1179マイル(約日本の北海道から九州までの距離)をつなぐ石油パイプライン建設を手がけるトランスカナダ社に、オバマ前大統領が2015年に却下した建設計画の再申請をするように促す大統領令を出した。トランプは建設再開で、2万8000人もの雇用を生む素晴らしい建設計画だと誇らしく述べた。

この建設が強行されることに対し、スー族インディアンの首長会議は、我われの居住区近くを流れる飲料水の水源であるミズーリ川が汚染されてしまうと訴え、アメリカの首都ワシントンでこの3月10日、ダコタ・アクセス・石油パイプラインの建設に抗議する数1000人の支援者らとティピーと呼ばれるあの円錐形のインディアンテントで1週間におよぶ泊まり込みのデモを敢行した。「そもそも」この土地は、父祖の代から数万年にわたって我われの生きる土地だったのだと主張した。そして、全米ネイティブアメリカン人権同盟は以下のような指令を地下ネットに流したという。

金髪の、奇妙な髪形の、人種差別主義者の、女性差別主義者の、同性愛差別主義者の、白人優位主義者の、ピンク色の肌をした70歳くらいの大柄なドナルドという名前の男を見つけたら、ただちに拉致して全裸にし、彼のケツの穴から体内に、パイプで石油の原油1000リットルほどを送り込んでよろしい。

追記しておく。最近、アメリカでいちばんの医学部をもつジョンズ・ホプキンス大学の精神科教授3人が緊急報告としてNYタイムズに共同意見を寄稿した。「ドナルド・トランプ大統領は最近の言動をうかがうかぎり、典型的な偏執的自己愛症であり、切迫性被害妄想症である。できるだけ速やかに、しかるべき施設に収容すべきである」と。

きょうは、4月1日。私には、すこし妄想癖がある。


真空管

私は、1日中よく音楽を聴く。オーディオ装置は、それなりにちゃんとしたものである。30数年ほど前に揃えたものだが、いまもイイを音をだしてくれる。スピーカーは英国の銘機タンノイの旧型スターリング、プリアンプとメインアンプは伝説のラックスのすべて真空管によるもの、CDプレーヤーは英国のARCAMである。アナログのレコードプレーヤー、つまりターンテーブルはやはり英国の銘機ガラード301を使っていたが、アナログレコードを聴かなくなったので手放した。

さて、私が主に聴くのはクラシック音楽だが、これらのオーディオ装置はそれらの音源をみごとに再現してくれる。ピアノはコツンという硬くて重心の低い音までを響かせてくれる。ヴァイオリンの音は羊の腸をよじってつくられた弦を馬の尻尾でつくられた弓でこすりながら弾く音をあざやかに奏でてくれる。弓に塗った松脂の粉が弦をこするときに飛ぶ景色が見えるときもある。もちろん、オーケストラのたっぷりと量感のある響きも、オペラ歌手の喉の濡れた粘膜の震える様子も、眼前にうかぶ。至福のときである。

音には温度も、湿度も、明度も、匂いもある。それらを存分に再現してくれるのは、オーディオの心臓であるアンプだと私はおもう。人間がつくる、人間的な温度のある音楽を再現してくれるのは、やはり真空管のぬくもりのある音だと私はおもう。デジタルの音とは、そこが大いに違う。

深夜、適度に酔いが回ったところでアンプの電源を押す。ゆっくりと、ぼーっと、真空管が赤い光を発する。アンプが温まるまで、すこし待つ。さ、何を聴くか。このしばしの時間がいいのである。

真空管の機器で飛ぶ飛行機、トランジスタやデジタルで飛ぶ飛行機。どちらが墜ちやすいかというと、後者であるそうだ。そりゃそうだろう、鳥だって、蝶だって、アナログで飛んでいるのだから。

そこで、ふとおもう。デジタルって、そんなに進化したものなのだろうかと。ベートーヴェンの弦楽四重奏の第14番はデジタルで聴くよりも、真空管のアンプで聴いた方がいいし、もちろん生の演奏がいいに決まっている。

進化とは退化だ、と古い私はいつもおもってしまう。

「死とは何か?」と問われたアインシュタインは、「モーツァルトを聴けなくなることだ!」と言下に答えたという。いま、真空管のオーディオでモーツァルトの魔笛を聴きながら、私はアインシュタインの答えに深く首肯するのである。

「死とは、モーツァルトを聴けなくなることだ!」


古唐津

昨日は日曜日、氷雨降るなか、昼前から銀座にでかけた。出光美術館で開かれている「古唐津」展覧会の最終日だった。

銀座逍遥のいつものコースとして有楽町交通会館の「どさんこプラザ」に寄り、鰊の糠漬けと三升漬けを購う。ついでに隣りのMUJIをちらりと覗き、4丁目の教文館で自身の本棚を整え、洗う。さて、前日からたのしみにしていた東京いち好きな松屋裏のラーメン屋「共楽」に向かう。頭に穴を開けていたときから、退院したら行くぞッとおもい焦がれていたラーメン屋だ。しかし閉ざされたシャッターには、「店内改装のため、3月18日からしばらく閉店します」の貼り紙。ひざが崩れそうなくらいガッカリした。仕方ない。次善の策として有楽町のラーメン屋でビールを飲み、餃子とラーメンを食べて、雨のなか、丸の内の出光美術館に出向いた。

私は骨董や陶器にさほどの知識はないが、焼き物では唐津が好きである。今回の展覧会は、16世紀後半から17世紀の桃山時代の古唐津。つまり戦国時代に朝鮮半島から陶工ごと渡ってきた垂涎の作ばかりが並べられていた。氷雨のなかでありながら、最終日とあって、展覧会はとてもにぎわっていた。なぜか、女性が多かった。出光コレクションの古唐津、13年ぶりのご開陳。出光はやはり、井戸茶碗とか朝鮮ものがスゴイ。

やわらかで、自在で、えらそうでない。眼福にすぎる焼き物がごろごろ。

大相撲の千秋楽であったので早々と銀座を辞した私だが、稀勢の里が決定戦で優勝するのをテレビで見ることができてよかった。大番狂わせだった。

相撲を見ながら糠にしんで三平汁をつくり、朝鮮の粉ひきもどきの徳利で日本酒に燗をつけ、現代ものだが唐津の皮鯨のぐい吞みでそれをいただきました。


この国の構造

大阪の森友学園、籠池理事長と安倍首相、そしてそれぞれの女房のキャクラター合戦が面白すぎる。

もともとは安倍の女房、昭惠が森友学園の名誉校長に就き、そこの小学校予定地の国有地が9割引きくらいで売られていたことが発覚し、それが問題の発端となった。そもそもはかんたんな事件で、きょくたんな愛国思想をもつ学園長夫妻がいて、きょくたんな愛国思想をもつ首相夫妻や稲田朋美防衛相がその思想に共鳴し、国有地の売買権をもつ財務省とその管轄下の大阪府の役人を動かしたというだけの話である。

話を面白くしたのは籠池という理事長と首相夫人昭惠のキャラクターである。籠池というのは10数年前にマンションの耐震強度偽装事件で世間を騒がしたヒューザー社長の小島とかいう濃いキャラを思いおこさせる。蛙の面にションベンというところが。もうひとり、蛙の面にションベンのキャラが安倍昭惠である。このごに及んで、「なんで私が注目されるのでしょうね」とヘラヘラ笑っている。

なぜ彼女があそこまで能天気なのかというと、それは彼女の出自と生い立ちにあるのかもしれない。昭惠は森永製菓創業家5代目の娘であり、聖心女学院から立教大学を卒業して電通に入社している。すべてコネ入学であり、コネ入社であり、嫁に行くまでの華麗なる経歴づくりである。電通時代は、宴会部長として飲み会を大いにもりあげていたらしい。それが彼女の仕事であった。そのころに安倍晋三を紹介されて結婚している。子どもはできなかった。

ここで正直にいうが、電通社員の大半はコネ入社である。社員の多くはこの国の政界や経済界に影響力をもっている者たちのご子息たちである。私も仕事で電通の社員たちとたくさん会ったが、優秀なのは100人にひとりいるかいないかである。電通にとって、社員は別に優秀でなくてもいいのである。日本社会の既得権益を回すのが会社にとっての仕事なのだから、既得権につながる社員がいるだけでいいのである。

森友学園の国有地売却問題だって、早い話がコネであり、クチキキであり、政治力である。そして教育勅語の好きな類友コネクション。

今後は、籠池のバックについたノンフィクション作家の菅野完という人物がカギを握るような気がします。いい意味でも、悪い意味でも。


ほッ

きょう、入院していた横浜の病院で、退院後3週間ぶりの再検査を受けた。執刀の前に、硬膜下血種手術の病状再発の可能性は約10%といわれていた。また出血して脳を圧迫する可能性である。

CT検査の結果は、ほぼ治っていた。頭蓋骨内部のモニター画像を見せられたが、血液の影はすこし残っているものの、これはそのうち自然に消えるでしょうとのこと。念のため1か月後にもう一度CTスキャンを撮り、そこで完治していたら薬の服用もやめて、治療を終えましょうと主治医にいわれた。

ほッとした。入院中に、頭や口からチューブを出して点滴につながれ、意識もなくベッドに横たわっている患者をずいぶん見た。ああなるのはイヤだった。(脳神経外科の病室は、異常事態にすぐ気づくようにドアは常にひらいている状態が多い)

今回は、まわりの人々にずいぶんと迷惑とご心配をかけた。酔って転んでの末の自業自得とはいえ、ただただ反省あるのみ。今後は、糖尿病の治療にまじめに努めたいとおもいます。従兄のKにいわせると、硬膜下血種なんて軽い交通事故みたいなもので、糖尿病の方がはるかに怖いよということである。

あと1週間ほどで、桜の開花である。今年は、良寛の「散る桜 残る桜も 散る桜」が
いままでにもまして身にしみることでしょう。


シャバダバダ

先週の土曜日の昼、横浜の病院を退院した。帰宅してすぐ、10日ぶりにビールを飲んだが思ったほどの感動はなかった。夕方、近くの神社に散歩がてら出かけた。境内に梅の木が数本、紅白の花を咲かせていた。その甘酸っぱい香りをかぎながら、「あぁ、生きている」と実感した。

入院中はあわてて持ちこんだノンフィクションや海外ミステリーを数冊読んだが、どれもいまいちだった。それで、見舞いに来るというHとMに夏目漱石の「吾輩は猫である」(新潮文庫)を所望した。私はこの歳まで「猫」を読んでいないことを気にしていたのである。そして読んで、驚いた。とてつもない教養小説なのであった。社会を風刺した噺だということは知っていたが、漢学と西洋文学を学びつくした漱石の処女作であり、そこに彼がすべての知識を遊びごころとともにはき出したものだった。真面目に読むと、難解といってもいい。とにかく現代版は脚注だらけである。当時、漱石の本の初版は2000部ほどだったというが、むべなるかな。とても、大衆が読みこなせるものではない。旧制高校卒以上のインテリしか相手にしていない。でも、それ以降の職業作家になってから書いた「坊ちゃん」や「こころ」「それから」などはもっとはるかに読みやすい。私のいちばん好きな「草枕」もしかり。処女作の「猫」がその難解さがゆえに一部高等遊民だけに受けたことを漱石は卑下したのかもしれない。だって、食うために働いて生きるほどツマラナイ人生はない。そのてん猫は気楽なもんだ、という本音を書きつらねたのだから。
ともあれ、「猫」は入院でもしていなければ読みこなせない小説であった。そしてやはり読むべき、こころに残る名作であった。

火曜日の朝、宅急便が届いた。昔、京都に住んでいたころの友人、バッグデザイナーH氏からのものだった。30年ほど前、私は彼にアウトドア用のショルダーバッグを作ってもらった。英国製の「ブレディ」というバッグを基調としたモスグリーンのものだった。私はそれを毎日、どこに行くにも携えて出かけた。スコットランドで、開高さんに「キミ、ええバッグ持ってるな」ともいわれた。しかし、30年以上も過ぎ、さすがにそれもくたくたにヘタッてきて、代わりの似たようなバッグを使っていた。だが、それも数年でヘタッてきた。そこで昨年の11月頃に、H氏に昔と同じものを作ってほしいと電話をした。「もうあのバッグの型紙もあらへんけど、昔のがあるんなら、送って。そのうち気が向いたら作るわ」
そして火曜日、新しいバッグが送られてきた。新作は生地が黒で、ふちどりの皮とショルダーベルトが焦げ茶。成熟した白髪のオヤジにぴったりのシブイ出来栄えである。あぁ、うれしい。完璧なデザインのショルダーバッグ。

バッグ・ツゥ・ザ・フューチャーなのだ。


生還

娑婆の空気がやけにうまいぜ。本日、10日間ほどの入院生活を終えて、無事退院いたしました。

年末に、酔って転んで頭をうった。年明けに脳神経外科でMRI検査を受けると、頭の左半分、頭蓋骨の下にある硬膜とくも膜のあいだに血が溜まっていた。そのあと2週間おきにさらに2度MRI検査を受けたが、そのたびに血の量がふえて、その下の脳を徐々に圧迫していた。そして、その血液がかたまりつつあった。「硬膜下血種」という症状である。

そして10日ほど前の午後2時過ぎ、予約していた歯医者に行こうと準備をしている途中で右半身の自由がきかなくなり、ずるずると床にくずれ落ちた。起き上がろうとしても、全身不如意。今そこにある危機という状態に陥った。もがいてももがいても、机のまえの椅子に上がれない。いままでの自堕落な生活が走馬灯のように駆けめぐる。アルコールの海を漂いつづけた日々がよみがえる。走馬灯をおおう紙は黒い紙でできていた。けっきょく机の上に置いたケータイに手が届くまで、5時間ほどかかった。やっと連絡がついたKがかけつけ、救急車がきて、緊急病院に運ばれた。

翌日、従兄のKが名誉院長をつとめている横浜の大きな脳神経外科病院に移送。その翌日、手術が施行された。頭蓋骨の左側頭部やや後方に直径1センチほどの穴をハンドドリルであけ、チューブを通して溜まった血液を抜き、さらに生理食塩水を注入して内部を洗浄する。頭の中がきれいになったところで、あけた穴にサイズを合わせた人工骨(セラミック)の蓋をし、切開した頭皮をかぶせてホッチキスでつなぎ合わせる。頭蓋骨内部と外界とは細いドレインチューブでつながっており、血のまじった余分な分泌液は2日間にわたって外に排出される。ざっとこのような手術だったが、開口部の頭皮に局所麻酔をうったせいかさほど痛くもなく、30分ほどの存外にあっさりとしたものだった。

ともあれ今回の件で、頭だけでなく内臓のMRI検査も受け、血液検査も受け、おかげで血糖値が高く糖尿病になりかかっていることがわかった。原因はひとえに過度のアルコール摂取によるもので、今後は酒をひかえ、薬を処方してもらいながら対処することになった。一病息災。私は健康診断というものを10数年に1度くらいしか受けたことがないので、この度は人間ドックに入ったようなもので結果的には大いによかった。ケガの功名ともいえようか。

最後に今後の酒と煙草であるが、これを機会にすっぱり止めるかというと、私はそんなヤワな男ではない。一度はじめたことを途中で止めるような意志薄弱ものではない。今後も適度にたのしみたいとおもう。なにしろ私だって、頭蓋骨と脳のあいだにたっぷりと溜まった血の海をモニターで何度も見せられたのである。もう強い酒をがぶがぶと飲むような無茶はしない。ほどほどに嗜みます。


名前

だいたいグラスを傾けているときである。いま、自分に子どもが生まれたら、どんな名前がいいのだろうと考えることがある。まったくもって、いい歳こいてのフラチな妄想である。そして、おもう。

すくなくとも、晋三とか、慎太郎とか、ドナルドとか、アドルフとか、要一(マスゾエ)とか、朋美(イナダ)とか、早苗(タカイチ)とか、珠代(マルカワ)、というような名前はつけたくないナとおもう。

名前というのは大事である。いい仕事をしたひとは、いい名前が多い。例として、夏目漱石、太宰治、山田風太郎とあげながら、すべてペンネームと思いいたった。だがしかし、五木寛之、伊集院静というナルシスチックな名前も、本人がその気になったら華が咲くという例もある。ちなみに菊池寛、芥川龍之介、中原中也、開高健、野坂昭如、朝吹真理子は実名である。こうなるとやはり、なしとげた仕事に名前がついてくるということか。私の渡辺裕一という平凡な名前も、ちゃんとしていたら、ちゃんとしていたのかもしれない。生まれてきて、スミマセンである。

2週間前、久しぶりにアートディレクターの浅葉克己さんにちょっとした打ちあわせでお会いしたが、70代半ばにして異常に元気であった。全身をイッセイ・ミヤケの服できめて、ウフフッと笑っている。化け物である。100歳まで生きるのではないだろうか。
なにしろ、アサバカツミという名前に、バカとツミが入っているのだから。


図書館への道

私の住むアパートの近くに、図書館がある。週に、1度か2度訪れる。途中に清々しい空気の流れる神社があり、いまは参道の奥に梅の木がひかえめに花をつけている。そして、境内にはいつも数匹の猫がいる。野良猫だとおもう。みんな、茶色のブチである。いつも私を上目づかいに見る。その目はいつも、「おまえ、ちゃんと生きてるか」というまなざしである。おおきなお世話だとおもう。

その先の図書館の目の前に、4棟ほどの大きな都営住宅がある。そのいつも通る道の8階建ての2階にゴミ屋敷がある。ベランダにあふれんばかりのありとあらゆるゴミが積み重なっている。家の中は見えないが、ときどき電灯がともっている。たぶん、住民や管理組合のあいだで問題になっているのであろうが、この10年なんの動きもない。私はいつも、その景色を見るたびに、どちらに味方していいのか悩まされている。

私は20代前半のころ、図書館に勤めたいとおもっていた。好きな本を読むだけの人生を過ごしたいとおもっていた。しかし、それには司書とかいう資格がいると知り、あきらめた。車の免許をとるのもイヤなのだから、そんなことは面倒くさい。

10年ほど前だが、憧れの「国会図書館」に行った。国内で出版されるすべての本が収められているという、私にとっての宝島ある。万巻の書が延々とつづく書庫をさまよい歩くわが身を想像した。しかし、そこにあったのは、数100台並ぶパソコンだけで、本の並ぶ書架はひとつもなかった。国会図書館は閉架式で、パソコンでデータを調べ、希望の書籍を申し込むというシステムだった。数10分待つと、地下の書庫からその本が運ばれてくるという無味乾燥な図書館だった。

私は子どものころ、読書好きの父親と札幌に行くたびに、丸善に同行した。そこには、頭がクラクラするほど読みたい本がいつも並んでいた。いつも、未知の世界に踏み込む探検気分だった。子供ごころに、丸善というのは特別な存在だった。

父親のことを思いだすとき、いつも札幌の丸善のことを思いだす。